「ウーヴェ・ヨーンゾン」の版間の差分

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そのため彼は翻訳(『[[ニーベルンゲンの歌]]』、[[ハーマン・メルヴィル]]『イスラエル・ポッター』など)や編集など臨時の仕事で生計を立てている。このころ、1953年から執筆していた習作『イングリット・バーベンダーエルデ 卒業試験1953年』を出版しようと試みるも、ことごとく拒まれている。結局、本作が発表されるのは死後、[[1985年]]になってからであった。
 
『イングリット・バーベンダーエルデ』の出版こそ拒否したものの、[[西ドイツ]]のズーアカンプ社はヨーンゾンの才能を認め、執筆を続けるようにと励ました。次作『ヤーコプについての推測』は1959年にズーアカンプ社から発表されることとなり、[[フランクフルト書籍見本市]]で好評を博す。東独に身を置きながら書き続けることの困難から、ヨーンゾンは同年西[[ベルリン]]への転居を決意し、本格的な執筆活動に入っている。
 
[[1960年]]、西ベルリンから[[フォンターネ]]賞を受け、翌年『[[三冊目のアヒム伝]]』を発表する。