「イェリング」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
2行目:
[[Image:Jelling northern mound 2004-07-19.jpg|thumb|right|240px|イェリング教会敷地内にある北側の墳墓と教会。]]
'''イェリング'''(Jelling)は、[[ユトランド半島]][[ヴァイレ基礎自治体]]([[:en:Vejle municipality|Vejle municipality]])にある村。かつては[[ヴァイキング]]の玉座が設けられていたが、今日は小さな町である。
イェリングには[[900年]]代後期に作られた2基の大墳墓がある。うち北側の墳墓は[[ゴーム老王]]([[:en:Gorm the Old|Gorm the Old]])の墓であると考えられており、木棺が埋められていたが中には銀杯などわずかな[[副葬品]]しか発見されなかった。南側の墳墓には棺すら埋められていなかった。この[[遺跡]]は謎に包まれているが、昔から、この地に[[教会]]と大きな[[ルーン石碑]]を建立した[[ハーラル1世 (デンマーク王)|ハーラル1世]](ハーラル青歯王)の両親ゴーム王とチューラ王妃に関係があるとされている。教会の中央にあたる場所の床下に男性が埋葬された痕跡が発見されており、これはゴーム王が改葬された名残と解釈されている。チューラ王妃とされるものはまだ発見されていない。
ハーラル王は大きな一枚岩[[イェリング墳墓群#ハーラルの石碑|イェリングの石碑]]に、以下のような碑文を[[ルーン文字]]で刻ませた。
「ハーラル王は父のゴーム王と母チューラを記念しこの記念碑を作らせた。ハーラルはデンマーク、ノルウェーを勝ち取り、[[デーン人]]をキリスト教に改宗させた。」
これは「デンマークのキリスト教化」の宣言として知られており、イェリングの[[石碑]]はデンマークでもっとも有名なルーン碑文の1つである。
<!--英語版の参考文献
20行目:
== 参考文献 ==
*G・キャンベル編『図説 世界文化地理第百科 ヴァイキングの世界』[[熊野聰]]監修、[[朝倉書店]]、1999年。
== 関連項目 ==
37行目:
[[Category:デンマークの歴史的地域]]
[[Category:ヴァイキング]]
[[Category:ヨーロッパの考古遺跡]]
|