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== 中国における臨済宗 ==
臨済宗は、その名の通り、[[会昌の廃仏]]後、[[唐]]末の宗祖臨済義玄に始まる。臨済は黄檗希運の弟子であり、[[河北省|河北]]の地の[[臨済寺 (河北省)|臨済寺]]を拠点とし、新興の[[藩鎮]]勢力であった成徳府[[藩鎮|節度使]]の{{仮リンク|王紹懿|([[:zh|:王紹懿|中文版]]、[[:en|:Wang Shaoyi}}(|英語版]])(?-866年、禅録では王常侍)を支持基盤として宗勢を伸張したが、唐末[[五代十国時代|五代]]の混乱した時期には、河北は5王朝を中心に混乱した地域であったため、宗勢が振るわなくなる。この時期の中心人物は、風穴延昭である。
 
臨済宗が再び活気に満ち溢れるようになるのは、[[北宋]]代であり、石霜楚円の門下より、ともに[[江西省]]を出自とする黄龍慧南と楊岐方会という、臨済宗の主流となる2派(黄龍派・楊岐派)を生む傑僧が出て、中国全土を席巻することとなった。