「伊号第五十一潜水艦」の版間の差分

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竣工時名称は'''第四十四号潜水艦'''であるが、竣工直後の[[1924年]](大正13年)11月1日に'''伊号第五十一潜水艦'''と改名された。
本艦の艦型名も幾度か改正が行われ、海軍大型四十四型<ref>大正11年2月10日付 海軍内令 第46号。</ref>、伊号型海大一型<ref>大正12年6月3日付 海軍内令 第232号。</ref>、(一等)海大一型<ref>大正13年10月21日付 海軍内令 第254号。同年11月1日から施行。</ref>、最終的には艦型名なし<ref>昭和13年6月1日付 海軍内令 第421号。</ref>となった。
 
海大型潜水艦の系列の最初のもので、水上で高速を発揮し艦隊と共に行動して敵艦隊と対決することを想定して建造された。すなわち米艦隊を繰り返し襲撃することが想定され、敵の速力(艦隊の巡航速度15ノット、個艦の速力21ノット程度が予想されていた)以上の水上速力23ノットが要求された。当時まだ高出力ディーゼルが無かったため、海中型で採用されたディーゼル機関を4基搭載、スクリューは4軸とした。そのために内殻は円筒を2つ横に並べたような特異な形となった<ref>後の[[伊四百型潜水艦]]や[[ソビエト連邦|ソ連]]の[[タイフーン型原子力潜水艦]]と同様の形状。</ref>。本艦ではまず速力20ノットを目指していたが実際は18ノット強にとどまり、海大系列の潜水艦が速力23ノットを達成するのは[[1934年]](昭和9年)に第1艦が竣工する[[伊百六十八型潜水艦|海大6型a]]まであと10年待つ必要があった。また航続力は本艦は20,000海里(10ノット時)にもなり、当時の海中型潜水艦([[呂十六型潜水艦|海中3型]])の6,000海里(10ノット時)から大幅に増大している。