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[[奈良県]][[吉野郡]]十津川郷(現[[十津川村]])では、大規模な山腹崩壊が1080か所で発生。十津川(熊野川)が刻んだ谷を土砂が埋め37か所で[[天然ダム]]をつくり、多くの[[堰止湖]]が出現。天然ダム欠壊にともなう[[洪水]]により甚大な被害が生じた。<ref>熊野川懇談会 [http://www.kumanogawa.org/kumanogawa.html 熊野川の水害]</ref><ref>[http://www.dpri.kyoto-u.ac.jp/web_j/dprinews/news18/n18-4.html 京都大学防災研究所 特定研究集会 「十津川災害111周年記念集会-斜面災害発生場所予測に向けて」の報告]京都大学防災研究所ニュースレター2000年11月号</ref>土砂堆積は地形を一変させるもので、河床に堆積した砂礫は平均で30mとの推定がある<ref name=singuu/>。この災害は[[深層崩壊]]の典型事例として記録されている<ref>深層崩壊による土砂災害の事例「{{PDFlink|[http://www.mlit.go.jp/river/sabo/deep_landslide/totsu1889.pdf 十津川災害(奈良県、1889年)]}}」 - 国土交通省砂防部・[http://www.mlit.go.jp/river/sabo/deep_landslide.html 深層崩壊]</ref>。
 
[[北十津川村]][[十津川花園村]][[中十津川村]][[西十津川村]][[南十津川村]][[東十津川村]]の6か村からなる十津川郷は、村民12862人のうち死者168人、全壊・流出家屋426戸、半壊まで含めると全戸数2403戸の1/4にあたる610戸に被害、耕地の埋没流失226ha、山林の被害も甚大で、生活の基盤を失った者は約3000人にのぼり<ref>新十津川村 [http://www.town.shintotsukawa.lg.jp/00_soumu/kichou/kouhou/rekisi/kaitakusi1.jsp 新十津川開拓史1]</ref>、県の役人が「旧形に復するは蓋し三十年の後にあるべし」と記すほどであった<ref name="asahi101028">[http://mytown.asahi.com/nara/news.php?k_id=30000141010280001 「新十津川移住120年(上)」]朝日新聞、2010年10月28日--2011年9月5日閲覧</ref>。被災者2691人が同年10月[[北海道]]に移住、[[新十津川村]]がつくられることになった<ref name="asahi0905">「堤防計画 整備の途上 紀伊半島 有数の多雨地帯」朝日新聞2011年9月5日</ref>。
 
=== 『吉野郡水災誌』に見る被災状況 ===
『明治22年吉野郡水災誌』は宇智吉野郡役所が編纂し[[1891年]](明治24年)4月に発表した全11巻におよぶ本災害の記録である。被災した吉野郡内12か村の詳細な記録を現在に伝える。12か村とは十津川郷6か村の他、その上流域にある[[天川村]]、[[大塔村 (奈良県)|大塔村]](現在は[[五條市]]の一部)、[[野迫川村]]と、それらの村と[[分水界|分水嶺]]をはさんで北側に隣接する[[紀の川]]水系の[[宗檜村]](現・五條市)、[[南芳野村]](現在は[[下市町]]の一部と[[黒滝村]])、[[賀名生村]](現・五條市)である。1村1巻として編製されているが第10巻のみ宗檜村と南芳野村の2村を1巻にまとめているため12村で全11巻となっている。
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|+ 『吉野郡水災誌』末表資料より