「ジョスリン・ベル・バーネル」の版間の差分

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[[北アイルランド]][[ベルファスト]]で[[建築家]]の娘として生まれた。
 
1965年[[グラスゴー大学]]理学士。1967年に[[ケンブリッジ大学]]大学院生時代にヒューイッシュらと[[クエーサー]]の観測するための[[電波望遠鏡]]の観測データのなかに非常に早く規則的に変化する電波信号を見つけた。天文学的には異常に短い電波の宇宙人からの通信ではないかとも思われた電波源には「緑の小人 (Little Green Man)」を意味する「LGM-1」の名が与えられが、後に高速で回転する中性子星「[[CP 1919]]」が電波源であることがわかった。パルサー発見の論文は5人による共著でヒューイッシュが最初でベルが二番目だったがノーベル賞ではマーティン・ライルとアントニー・ヒューイッシュの共同受賞となり。フレッド・ホイルは、本来パルサー発見の立役者ともなるべき者が賞の蚊帳の外に置かれていた事を強く非難した。ベル本人は当時の時代背景では致し方無かったと振り返っている
 
1969年にケンブリッジ大学で[[Ph.D.]]を取得し、[[サザンプトン大学]]指導教員(1970年 - 1973年)、[[ロンドン大学]]ムラード宇宙科学研究所研究員(1974年 - 1982年)、[[エジンバラ王立天文台]]研究員(1982年 - 1991年)、[[オープン大学]]物理学講座教授(1991年 - 2001年)、[[プリンストン大学]][[客員教授]]、[[バース大学]]理学部長 兼 教授(2001年 - 2004年)を務めた。
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