「佐々木武雄」の版間の差分

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=== 「大山量士」として ===
『[[日本のいちばん長い日]]』では、「佐々木は14年間にわたって逃亡していた」ということになっている<ref name="hando">[[#半藤]]</ref>。[[刑事訴訟法]]上の[[放火罪]]の[[時効|法定時効]]15年に合わせて世に出てきたと[[半藤一利]]は説明するが<ref name="hando"/>、秦によればこの記述は正しくなく、早くも[[1949年]](昭和24年)には東京に出てきて[[財団法人]]を設立し、このころから「'''大山量士'''」としての後半生が始まる<ref name="hs124"/>。次いで[[1951年]](昭和26年)3月23日には有志とともに「亜細亜友之会」を設立して事務局長におさまった。これと相前後して鈴木の長男である[[鈴木一 (官僚)|鈴木一]]に面会し、終戦の際の事件を詫びたところ、逆に「あんなことでもしなければ、腰ぬけに思われたでしょう。まあ、いいじゃないですか」と慰められ、逆にこれが縁となって鈴木一は「亜細亜友之会」の活動を支援するようになる<ref name="hs125"/>。「亜細亜友之会」は設立当初こそ政治運動にかかわったが、年を経てからはアジア諸地域からの留学生の支援に活動の重きを置くようになる<ref name="hs125"/>。ただし、[[安保闘争#60年安保|60年安保]]のころにはアジアからの留学生らを引き連れて、「新しいアジア」建設を呼びかける運動のために日本一周の活動を行っていたことを元毎日新聞記者の加藤順一が明かしている<ref>[[#加藤]]</ref>。「亜細亜友之会」は[[1962年]](昭和37年)に財団法人となり、大山こと佐々木は会の理事長の地位在職のまま[[1986年]](昭和61年)8)3月20日に80歳で亡くなった<ref name="hs125"/>。
 
映画版『日本のいちばん長い日』では[[天本英世]]が佐々木を演じているが、佐々木の有志によれば「大体は映画の通りです。ただ映画の佐々木さんは妖しい眼光を放つ長身のやせた男が演じていますが、実物は小肥りの人でした」と評している<ref name="hs108"/>。