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'''山田 晴通'''(やまだ はるみち、[[1958年]][[10月]] - )は、[[福岡県]]生れの<ref name="faq">{{Cite web |author=山田晴通 |date=2007-01-05 |url=http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-P/faq.html |title=FAQs to H.YAMADA: 山田への「よくある質問」(FAQ) |work=山田への「よくある質問」(FAQ) |publisher=[[東京経済大学]] |accessdate=2012-08-01}}</ref>社会[[地理学者]]である。研究分野は英国の地方都市やメディア論、大衆文化論、ポピュラー音楽など幅広い<ref name="wasedajuku">{{Citewase web |date=2008-10-02 |url=http://www.wasedajuku.com/wasemaga/good-professor/2008/10/post_309.html |title=GOOD PROFESSOR(グッドプロフェッサー) 山田 晴通 教授 東京経済大学 コミュニケーション学部 |第一志望現役合格【早稲田塾】 |work=東京経済大学コミュニケーション学部山田晴通教授 |publisher=[[早稲田塾]] |accessdate=2010-09-15}}</ref>。理学博士。
 
[[松商学園短期大学]][[商学科]][[助教授]]、東京経済大学コミュニケーション学部助教授などを歴任、[[東京経済大学]][[コミュニケーション学部]][[教授]]を務める。教職員組合では、東京地区私立大学教職員組合連合中央執行委員、東京経済大学教職員組合執行委員長を務めた。
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== 経歴 ==
[[福岡県]][[福岡市]]にて生まれた<ref name="faq" />。[[1977年]]に[[栄光学園中学校・高等学校|栄光学園高等学校]]を卒業し、[[東京大学]]教養学部文科二類に入学、[[1981年]]に東京大学教養学部教養学科を卒業。東京大学大学院理学系研究科修士課程に進み、[[1983年]]に修士課程を修了。東京大学大学院博士課程へ進学、[[1986年]]に博士課程単位取得退学。[[1989年]](平成元年)に東京大学より[[理学博士]]の[[学位]]を取得する。
 
1986年に[[松商学園短期大学]]の講師に就任、1990年に同短期大学助教授となる。[[1995年]]には[[東京経済大学]]コミュニケーション学部助教授に就任、[[2006年]]4月より同大学教授となった<ref name="wasedajuku"wase />。
 
[[2001年]]に[[オーストラリア]]の[[マッコーリー大学]]現代音楽研究センター客員研究員<ref name="wasedajuku"wase />、[[2004年]]4月から[[2006年]]3月には[[大学入試センター|独立行政法人大学入試センター]]教科科目第一委員会委員(地理)、[[2005年]]4月から[[2007年]]3月には[[文部科学省]][[教科用図書検定]]調査審議会専門委員(音楽)も務めている。
 
また、東京経済大学教職員組合では執行委員・教研部長を経て執行委員長に就任し、東京地区私立大学教職員組合連合にて中央執行委員などを歴任した<ref>{{Cite web |author=山田晴通 |date=2012-04-06 |url=http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-KEN/Y-KEN/vita.html |title=Harumichi YAMADA: curriculum vitae |work=その他の団体 |publisher=[[東京経済大学]] |accessdate=2012-07-20}}</ref>。
 
== 研究 ==
大学院では地理学を専攻し、地理学に関する研究で[[博士号]]を取得した<ref name=faq />。本専攻と同時に、[[東京大学大学院情報学環教育部|東京大学新聞研究所教育部研究生課程]]に籍を置き、修了している。
大学院では地理学を専攻しており、[[博士号]]も地理学に関する研究で取得した<ref name="faq"/>。こうした本専攻と同時に、[[東京大学大学院情報学環教育部|東京大学新聞研究所教育部研究生課程]]にも籍を置き、修了している。また音楽家としての活動もあった父<ref>[http://megalodon.jp/2010-0906-1815-39/camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-P/rem/n2008.html [年記]:2008年を振り返る]の「山田研究室の「十大」ニュース」の「6(位)」、[http://www.kyushu-u.ac.jp/100th/window/song.php 九州大学百周年記念事業]も参照。</ref>の教育方針もありクラシック音楽を幼少期より聞いて育つ<ref>[http://www.lib.kunitachi.ac.jp/pub/parlando.htm ぱるらんど]([[国立音楽大学]]付属[[図書館]]広報誌))』の218号掲載の[[高野紀子]]氏との対談を参照(なお紙面では「高野紀子先生 vs 山田晴通先生」という題名で掲載されている)。</ref>。取得学位とは別に音楽の関心も高く研究上の守備範囲としており、音楽に関する講義もする一方でポピュラー音楽に関する学術論文も執筆したり<ref>例えば[http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-KEN/Y-KEN/fulltext/99gl.html 山田晴通(1999):『globe:小室哲哉の歌詞が描き出す世界』]</ref>マスメディアから取材を受けたりしている<ref>例えば[http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY201204050351.html Jポップ歌詞、瞳閉じすぎ? 目立つ紋切り型に批判も](朝日新聞デジタル2012年4月6日付、同日閲覧)</ref>。[[バートン・クレーン]]のCDが復刻販売されたことについて、自身がクレーンについての論文を発表したことがきっかけであると主張している<ref name="wasedajuku"/>。
講師や助教授として勤務した松商学園短期大学では「[[マーケティング]]」を講じており<ref name="faq"/>、助教授や教授を務めている東京経済大学では(地理学の教員ではなく)「[[コミュニケーション論|コミュニケーション論入門]]」の講義を担当する<ref>{{cite web|url=http://www.tku.ac.jp/department/communication/teacher/yamadaharumichi/|title=山田 晴通(Yamada Harumichi)|学部・学科|東京経済大学|publisher=[[東京経済大学]]|accessdate=2012-07-20}}</ref>など、研究上の専攻と講義上の主担当が必ずしも一致していない<ref>なお地理学の教員としては2007年に[http://megalodon.jp/2012-0814-1018-39/camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-P/rem/n/n2007.html教授の公募 応募している]が採用になっていない。</ref>。
 
[[1984年]]に発表した「宮城県石巻市における地域紙興亡略史 : 地域紙の役割変化を中心に」<ref name=p1984 />で、日本の[[マスメディア]]研究で従来看過されて来た地域[[日刊紙]]の歴史的実態について宮城県[[石巻市]]の地元日刊新聞2、3紙をおもな対象として具体的に考察し、「本稿で論じた地域紙の例に限らず、どのような性格の媒体が成功するかは、いつの時代でも読者ニーズの所在と諸媒体間の関係によって決するもの」と論を結んだ。[[2001年]]の「地域の情報化から,地域の再構成へ」<ref name=p2001 />では、[[インターネット]]の登場以後情報化によって変容して来た社会や人間関係などについて従来の議論で見過ごされがちだった視点、すなわち地方からの視線で地方の事情を見たときに浮かび上がる問題点に着目した。[[2009年]]に発表された「19世紀末英国のトルストイ的アナキズムの実践地「ホワイトウェイ・コロニー(Whiteway Colony)」の歴史と現在の景観」<ref name=p2009 />では、[[ロシア]]の文豪[[トルストイ]]晩年の[[ロシア正教]]から離れ[[ナザレのイエス|イエス]]の教えそのものに従うことを徹底することで[[トルストイ主義]]と呼ばれ世界に大きな影響を与え、その一端は日本の文学グループ[[白樺派]]までに及んだ思想の、後世への知られざる一支流に注目し、その歴史を振り返り、現地を訪れその現在の様子を報告した。
学会誌査読論文については、[[1990年代]]以降ほとんど掲載されたことがない。東京経済大学に移ってからは、一度も掲載されない状態が長らく続いていた<ref name="yamada2005">{{Cite web |author=山田晴通 |url=http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-P/rem/n/n2005.html |title=H.YAMADA remembers the year 2005: 2005年を振り返る |work=山田研究室の「十大」ニュース |publisher=[[東京経済大学]] |accessdate=2013-02-17}}</ref>。その結果、16年間にわたり学会誌査読論文が全く掲載されないという状態に陥っていたが、[[2005年]]に[[日本地理学会]]の学会誌に論文が一本掲載された<ref name="yamada2005"/>。自身にとっては16年ぶりの掲載だが、東京経済大学に勤務するようになってからは初めての掲載となった<ref name="yamada2005"/>。また、査読なしの論文については「毎年コンスタントに書いてきた」<ref name="yamada2004">{{Cite web |author=山田晴通 |url=http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-P/rem/n/n2004.html |title=H.YAMADA remembers the year 2004: 2004年を振り返る |work=山田研究室の「十大」ニュース |publisher=[[東京経済大学]] |accessdate=2013-02-17}}</ref>と述べていたが、[[2003年]]夏ころから「雑文を書くのもしんどく」<ref name="yamada2003">{{Cite web |author=山田晴通 |date=2004-02-13 |url=http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-P/rem/n/n2003.html |title=H.YAMADA remembers the year 2003: 2003年を振り返る |work=山田研究室の「十大」ニュース |publisher=[[東京経済大学]] |accessdate=2013-02-17}}</ref>なり、[[2004年]]<ref name="yamada2004"/>、[[2007年]]には<ref name="yamada2007">{{Cite web |author=山田晴通 |url=http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-P/rem/n/n2007.html |title=H.YAMADA remembers the year 2007: 2007年を振り返る |work=山田研究室の「十大」ニュース |publisher=[[東京経済大学]] |accessdate=2013-02-17}}</ref>、山田自身「スランプ」<ref name="yamada2004"/><ref name="yamada2003"/><ref name="yamada2007"/>と表現する状態となった。原因については「特段、何か明確なスランプの理由があるわけではない」<ref name="yamada2007"/>と述べており、「研究スタイルが上手く立てられていない」<ref name="yamada2007"/>と自己分析している。
 
山田は幼少期からクラシック音楽を聞いて育つた<ref name=cla />。これは音楽家としての活動があった父<ref name=fath />の教育方針による。研究者としては取得学位とは別にその音楽への関心から音楽に関する講義もする。ポピュラー音楽に関する学術論文もある<ref name=komu />。ときにはマスメディアから取材を受けることもある<ref name=pops />。歌手[[バートン・クレーン]]のCDが復刻販売されたことについては、自身がクレーンについての論文を発表したことがきっかけであると主張している<ref name=wase />。
自身の専門分野について、山田は「これだけ専門があるということは、実は何の専門家でもないということ」<ref name="faq"/>だと述べたうえで、「根っからの研究者/専門家ではなく、雑多なことを[[ブリコラージュ]]していく少しばかりの小器用さだけでこの仕事をやってきただけ」<ref name="faq"/>だと自嘲気味に述懐している。
 
講師や助教授として勤務した松商学園短期大学では「[[マーケティング]]」を講じておりいる<ref name="faq" />。さらに助教授や教授を務めている東京経済大学では(地理学の教員ではなく)「[[コミュニケーション論|コミュニケーション論入門]]」の講義を担当する<ref>{{cite web|url=http://www.tku.ac.jp/department/communication/teacher/yamadaharumichi/|titlename=山田comu 晴通(Yamada Harumichi)|学部・学科|東京経済大学|publisher=[[東京経済大学]]|accessdate=2012-07-20}}</ref>など、研究上の専攻と講義上以外主担当が必ずし分野について一致教育者としていない<ref>の実績がある。なお本来の研究分野である地理学の教員としては2007年に[http://megalodon.jp/2012-0814-1018-39/camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-P/rem/n/n2007.html教授公募 募している]がじたものの不採用にていない。<ref name=yamada2007 /ref>。
 
山田は[[1990年代]]以後は学会誌査読論文がほとんどない<ref name=yamada2005 />。[[2005年]]に[[日本地理学会]]の学会誌『地理学評論』8月号に「オーストラリアの地方都市アーミデールにおけるコミュニティ放送とナローキャスティング」が掲載され<ref name=yamada2005 />、山田16年ぶりの学会誌査読論文となった<ref name=yamada2005 />。これは東京経済大学に移ってからは初めての学会誌査読論文である。
 
査読なしの論文については「毎年コンスタントに書いてきた」<ref name=yamada2004 />と述べていたが、[[2003年]]夏ころから「雑文を書くのもしんどく」<ref name=yamada2003 />なり、[[2004年]]<ref name=yamada2004 />、[[2007年]]には<ref name=yamada2007 />、山田自身「スランプ」<ref name=yamada2004 /><ref name=yamada2003 /><ref name=yamada2007 />と表現する状態となった。原因については「特段、何か明確なスランプの理由があるわけではない」<ref name=yamada2007 />と述べており、「体力的な衰えに合わせた研究スタイルが上手く立てられていない」<ref name=yamada2007 />と自己分析している。
 
自身の専門分野について、山田は「これだけ専門があるということは、実は何の専門家でもないということ」<ref name="faq" />だと述べたうえで、「根っからの研究者/専門家ではなく、雑多なことを[[ブリコラージュ]]していく少しばかりの小器用さだけでこの仕事をやってきただけ」<ref name="faq" />だと自嘲韜晦気味に述懐している。
 
== 発言 ==
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== 脚注 ==
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|refs=
<ref name=faq>{{Cite web |author=山田晴通 |date=2007-01-05 |url=http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-P/faq.html |title=FAQs to H.YAMADA: 山田への「よくある質問」(FAQ) |work=山田への「よくある質問」(FAQ) |publisher=[[東京経済大学]] |accessdate=2012-08-01}}</ref>
<ref name=fath>[http://megalodon.jp/2010-0906-1815-39/camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-P/rem/n2008.html [年記]:2008年を振り返る]の「山田研究室の「十大」ニュース」の「6(位)」、[http://www.kyushu-u.ac.jp/100th/window/song.php 九州大学百周年記念事業]も参照。</ref>
<ref name=cla>[http://www.lib.kunitachi.ac.jp/pub/parlando.htm ぱるらんど]([[国立音楽大学]]付属[[図書館]]広報誌))』の218号掲載の[[高野紀子]]氏との対談を参照(なお紙面では「高野紀子先生 vs 山田晴通先生」という題名で掲載されている)。</ref>
<ref name=komu>例えば[http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-KEN/Y-KEN/fulltext/99gl.html 山田晴通(1999):『globe:小室哲哉の歌詞が描き出す世界』]</ref>
<ref name=pops>例えば[http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY201204050351.html Jポップ歌詞、瞳閉じすぎ? 目立つ紋切り型に批判も](朝日新聞デジタル2012年4月6日付、同日閲覧)</ref>
<ref name=wase>{{Cite web |date=2008-10-02 |url=http://www.wasedajuku.com/wasemaga/good-professor/2008/10/post_309.html |title=GOOD PROFESSOR(グッドプロフェッサー) 山田 晴通 教授 東京経済大学 コミュニケーション学部 |第一志望現役合格【早稲田塾】 |work=東京経済大学コミュニケーション学部山田晴通教授 |publisher=[[早稲田塾]] |accessdate=2010-09-15}}</ref>
<ref name=comu>{{cite web|url=http://www.tku.ac.jp/department/communication/teacher/yamadaharumichi/|title=山田 晴通(Yamada Harumichi)|学部・学科|東京経済大学|publisher=[[東京経済大学]]|accessdate=2012-07-20}}</ref>
<ref name=yamada2003>{{Cite web |author=山田晴通 |date=2004-02-13 |url=http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-P/rem/n/n2003.html |title=H.YAMADA remembers the year 2003: 2003年を振り返る |work=山田研究室の「十大」ニュース |publisher=[[東京経済大学]] |accessdate=2013-02-17}}</ref>
<ref name=yamada2004>{{Cite web |author=山田晴通 |url=http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-P/rem/n/n2004.html |title=H.YAMADA remembers the year 2004: 2004年を振り返る |work=山田研究室の「十大」ニュース |publisher=[[東京経済大学]] |accessdate=2013-02-17}}</ref>
<ref name=yamada2005>{{Cite web |author=山田晴通 |url=http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-P/rem/n/n2005.html |title=H.YAMADA remembers the year 2005: 2005年を振り返る |work=山田研究室の「十大」ニュース |publisher=[[東京経済大学]] |accessdate=2013-02-17}}</ref>
<ref name=yamada2007>{{Cite web |author=山田晴通 |url=http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-P/rem/n/n2007.html |title=H.YAMADA remembers the year 2007: 2007年を振り返る |work=山田研究室の「十大」ニュース |publisher=[[東京経済大学]] |accessdate=2013-02-17}}</ref>
<ref name=p1984>「[http://ci.nii.ac.jp/naid/110002772655 宮城県石巻市における地域紙興亡略史 : 地域紙の役割変化を中心に]」『新聞学評論 (33)』日本マス・コミュニケーション学会</ref>
<ref name=p2001>「[http://repository.tku.ac.jp/dspace/handle/11150/6467 地域の情報化から,地域の再構成へ]」『コミュニケーション科学 (15)』東京経済大学 コミュニケーション学会</ref>
<ref name=p2009>「[http://repository.tku.ac.jp/dspace/handle/11150/508 19世紀末英国のトルストイ的アナキズムの実践地「ホワイトウェイ・コロニー(Whiteway Colony)」の歴史と現在の景観]」『人文自然科学論集 (128)』東京経済大学人文自然科学研究会</ref>
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== 外部リンク ==