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幼くして詩才あり、8歳頃のある日父が「庭除市古桐、聳幹入雲中」と賦したところ、彼女が「枝迎南北鳥、葉送往来風」と即座に続けたという伝説がある。[[張為]]がまとめた『詩人主客図』では、薛濤の詩は「清奇雅正」と評され[[賈島]]・[[方干]]・[[項斯]]などと並べられている。元の[[辛文房]]は「情は筆墨をつくし、翰苑崇高」とし、清の『[[四庫提要]]』では「籌邊楼」という詩に市井の女性では珍しく憂国の情が見られることを指摘している。現代では[[胡雲翼]]のように「当時の文人名士と交流しその影響を受け、技巧は熟練しているが率直な感情の表出に欠ける」と言われている。社交が薛濤の仕事であったから、芸術家としてよりは職人に徹した作風となることは避けがたかったと思われる。
 
日本語版は辛島驍訳注で、『漢詩大系15 [[魚玄機]]・薛濤』 ([[辛島驍]]訳注、[[集英社]]