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射法訓 (会話 | 投稿記録)
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== 来歴 ==
[[北海道]][[苫小牧市]]生まれ。[[立教大学]][[経済学部]][[経営学]]科卒業、[[アメリカ合衆国]]アンカレッジコミュニティカレッジ基礎経済学講座修了。日本に帰国後、[[イワクラホーム|岩倉建設]]の社員・役員を経て、[[1989年]]に[[日本青年会議所]]副会頭に就任した。
 
[[2000年]]、[[第42回衆議院議員総選挙]]に[[北海道第9区|北海道9区]]から[[自由民主党_(日本)|自由民主党]]公認で出馬。[[民主党代表]](当時)の[[鳩山由紀夫]]に[[小選挙区制|小選挙区]]では惜敗したが、[[重複立候補制度|重複立候補]]していた[[比例北海道ブロック]]で復活し、初当選した(この選挙では岩倉が鳩山を猛追し、鳩山は[[野党]]第一党の党首でありながら全国の300選挙区の中で最も当確が出るのが遅かった)。[[2003年]]の[[第43回衆議院議員総選挙|第43回]]、[[2005年]]の[[第44回衆議院議員総選挙]]では鳩山に敗れ、[[比例復活]]も叶わなかった。衆議院議員在職中は[[平成研究会|橋本派]]に所属。
 
[[2006年]]、[[苫小牧市]]長の[[櫻井忠]]が飲食店経営者の女性に[[わいせつ]]行為を行った疑惑が発覚し辞職。後任を選出する苫小牧市長選挙に[[無所属]](自民党・[[新党大地]]推薦)で立候補し、元苫小牧市長の[[鳥越忠行]]を破り初当選した。[[2010年]]、[[2014年]]の苫小牧市長選挙において、いずれも再選。
 
== 外部リンク ==