「バルカン列車」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
Rain night-AWB (会話 | 投稿記録) |
→戦後: lk |
||
71行目:
第一次世界大戦後、オリエント急行はパリや[[カレー (フランス)|カレー]]を起点とする列車として運行を再開し、シンプロン・オリエント急行やアールベルク・オリエント急行のようなドイツ領を一切経由しない系統も加わった<ref>{{Harvnb|Guizol|2005|pp=57-58}}</ref>。
戦後旧オスマン領の[[歴史的シリア|シリア]]、[[メソポタミア]]などを[[委任統治領]]とした[[イギリス]]と[[フランス]]は、本国とこれらの地域を陸路で結ぶ列車を求めた。[[1925年]]にはシンプロン・オリエント急行に連絡する列車として[[アナトリア急行]](イスタンブル - [[アンカラ]])が運行を始めた。[[1930年]]には[[
ベルリンとバルカン半島の間の列車は[[1928年]]にオリエント急行の一部客車の直通という形で復活した。これは[[1929年]]にいったん廃止されるものの、[[1930年]]にブレスラウ経由で再開された。この客車はニーシュ以南でシンプロン・オリエント急行に連結された<ref name="Sol_table1914"/>。
|