「第32回NHK紅白歌合戦」の版間の差分

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*[[1985年]]・[[第36回NHK紅白歌合戦|第36回]]までの5回は歌手リーダー制が敷かれた。今回では紅組は[[水前寺清子]]、白組は[[北島三郎]]がそれぞれリーダーに抜擢された。
*試験的に、これまで非公開とされていた世論調査(視聴者アンケート)の結果が公表された<ref>『[[朝日新聞]]』1981年11月14日付東京夕刊、9頁。</ref><ref name=asahi81112522>『朝日新聞』1981年11月25日付東京朝刊、22頁。</ref>。
*曲順発表前に両軍共にトリ歌手の候補を事前に公表するという史上初の試みを行った(翌[[1982年]]・[[第33回NHK紅白歌合戦|第33回]]も同様)。紅組はチームリーダー・水前寺、当時最多出場を誇り「[[鳳仙花 (島倉千代子の曲)|鳳仙花]]」が久々のヒット曲となった[[島倉千代子]]、前回歌唱した「[[大阪しぐれ]]」が年跨ぎのヒット曲となった[[都はるみ]]、当時の若手代表として[[森昌子]]、白組は例年トリ争いを繰り広げた(且つこの年デビュー20周年)北島、[[森進一]]、ここ2年間の担当者である[[五木ひろし]]との布陣で発表される。なお、ここ2年間紅組トリおよび大トリを務めた[[八代亜紀]]はこの年ヒット曲に恵まれずトリ候補から外れた。
*島倉の「鳳仙花」はトリ曲にしては軽いと判断され、当初本命とされた都は歌唱曲を「大阪しぐれ」ではなくこの年発売の「[[浮草ぐらし]]」となったため後退し、水前寺と昌子の一騎打ちと見られた。五木の白組トリはライバルの八代が候補から外れたため後退、水前寺が紅組トリの場合は白組チームリーダーの北島、昌子の場合は「[[命あたえて]]」で古賀賞を受賞した進一(森・森対決。2人は後に一時期夫婦となったが、この時はまだ交際にも進んでいない)が起用されると見られていた。通常、[[12月20日]]前後に発表される曲順は本番2日前のリハーサル時点まで発表されなかったが、最終的に予想に反して昌子・北島のトリとなった<ref>合田『紅白歌合戦の真実』、150~151頁。</ref>。
*今回は、ブラスバンドチームがステージ上でオープニングファンファーレを演奏して幕開けとなり、黒柳・山川とのトーク後に、「スタイン・ソング」による出場歌手の入場行進となった。