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KurodaSho (会話 | 投稿記録)
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海軍[[中尉]]で[[敗戦]]を迎えた後、[[高田保馬]]・[[青山秀夫]]について[[経済学]]・[[社会学]]を学ぶ。[[大阪大学社会経済研究所]](阪大社研)においては、同僚の[[安井琢磨]]、[[畠中道雄]]、[[二階堂副包]]らと共に、阪大社研の黄金期を現出させた。その後、研究所内部での意見対立もあって、[[1968年]]に渡英、[[エセックス大学]]、[[ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス]](LSE)の教授を歴任した。
 
[[数理経済学]]者として[[レオン・ワルラス]]、[[カール・マルクス]]、[[デヴィッド・リカード]]等の理論の動学的定式化に業績を残した。最も影響力を持つ研究はワルラス理論だが、マルクス理論を数理化させた業績は大きい([[数理マルクス経済学]])。[[ノーベル経済学賞]]の候補にも何度か名前が挙がっており、いる。[[小室直樹]]によれば、最も受賞に近かった日本人だという<ref>小室直樹(2004)『経済学をめぐる巨匠たち――経済思想ゼミナール』ダイヤモンド社、248頁。</ref>。
 
LSEにおいては、1978年に Suntory Toyota International Centres for Economics and Related Disciplines (STICERD - 「スティカード」と発音) という研究所の設立に貢献し、初代所長となる。名前が示すとおり、[[サントリー]]と[[トヨタ]]からの寄付金を元に設立された研究所だが、イギリス学界では私企業からお金をもらって研究をすることは伝統的にタブーとされていて、そうした固定観念を変えるべく同僚の教授たちの説得に奔走した(その後、現在に至るまで、STICERDは、公共経済学、開発経済学、政治経済学の分野で多数の研究成果を経済学界に送り出している)。