「ジョージ・アームストロング・カスター」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
79行目:
この戦いで、カスターは彼らの土地を補給拠点とする合衆国軍最初の作戦目標を達成した。シャイアン族は「11人の戦士と19人の女子供が殺された」と証言しているが、カスターは「103人殺した」と報告した。カスター側の死者は将官が2人と兵卒19人で、これはブラック・ケトルを救出に来た[[アラパホ|アラパホー族]]や[[シャイアン族]]の別バンド、カイオワ族との戦いでによるものである。生き残った50人以上のシャイアン族が[[奴隷]]として連行された。
 
この「勝利」は[[インディアン戦争]]史上初めて米国陸軍が得た勝利とされ、シャイアン族の南部領土は合衆国が占領する事となったが、実情は先述したように非戦闘員の女や子供、乳児も含む無差別虐殺だった。カスターはこの女・子供の死者数をワシントン政府に全く報告しなかった。ワシントン政府もこの虐殺について何らの調査もしなかったのである。そしてカスターはこの虐殺について、上司であるシェリダンと[[ウィリアム・シャーマン]]の両将軍から褒められ、再びカスターの名は「英雄」として輝かしいものとなったのである。
 
そしてこの「ワシタ川の虐殺」以後、白人側はインディアンとの和平会談交渉を打ち切り、保留地に入ろうとしないインディアンたちに対して、容赦のない軍事絶滅作戦を行使する方針をとることとなったのである。
133行目:
{{quotation|「今はカスターを悪党として描くのが流行だ。19世紀の白人アメリカ人がカスターを英雄とするのを流行とした様に」|『明けの明星の息子― カスターとリトルビッグホーン』}}
 
1970年以降は、カスターは紋切り型の「英雄」としてではなく、「悪いインディアン」と呼ばれてきたスー族などの[[インディアン]]のみならず、白人系住民からも「過去の汚点」の象徴の様に扱われるようになった。しかし、そもそも「[[インディアン戦争]]」は政府・軍高官の方針に従って国家全体で行われた行為であり、カスターの個人的行動の様に判断するのは中立的ではない。白人系同士の殺し合いに対しては[[反戦主義]]を主張した[[ウィリアム・シャーマン]]将軍も、インディアンに対しては蔑視を露わにして「ならず者のインディアンは、老いも若きも女子供も拘らず、すべて残らず殺すべきだ」と根絶を主張している。基本的にはインディアン戦争を遂行したグラント政権がインディアン弾圧の旗振り役だったのであり<ref>Utley, Robert Marshall (2001). Custer: Cavalier in Buckskin. University of Oklahoma Press.</ref>、カスターは単に軍人として戦争行為の一翼を担ったに過ぎないとの以下のような意見もある。
 
{{quotation|「カスターについて誰か論じる時、中立的な意見は殆どなく、終わりの無い批判と擁護が繰り返される。カスターが知っていた事、知らなかった事、そして知りえなかった事について様々な議論が続けられている。」|『ジョージ・アームストロング・カスターの人生と死、そして神話』[[w:Louise Barnett|ルイーズ・バーネット]]}}