「ダニシュメンド朝」の版間の差分

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ダーニシュメンド、あるいは[[ダーニシュマンド・ガーズィー]]( Daānishmand Ghāzī, あるいは Danishmend Taylu<ref> [http://books.google.com/books?id=hcxkWrH5fc8C&pg=RA1-PA32&vq=taylu&dq=%22bohemond%22+%2B+%22ransom%22&ie=ISO-8859-1&output=html&sig=tUjY5RF425MgBLqLV1HrxEZzmQA Claude Cahen cited in] {{cite book | title = The Chronicle of Ali ibn al-Athir for the Crusading Period ISBN 0754640779|author= Donald Sidney Richards|publisher=Ashgate Publiching Inc.| year= 2006}} </ref>, 全名は Gümüştekin Danishmend Ahmed Gazi)という人物により創建されたが、彼についての歴史的記録は乏しく、しかもそのほとんどは後世になって書かれたものである。
 
ダニシュメンド( {{lang-fa|دانشمند}} Dānishmand/Dāneshmand はペルシア語で「賢者」を、ガーズィー( {{lang-ar|غازي}} Ghāzī/Gazi)は「異教徒への征戦(ガズワ)に従事する戦士」を意味する。ダニシュメンド・ガーズィー以降の統治者はテュルク語の[[ベグ]]やアラビア語の[[アミール]](エミール)(いずれも、「将軍」「有力者」の意味)と呼ばれたが、[[1134年]]に[[アッバース朝]]の[[カリフ]]・{{仮リンク|[[ムスタルシド|en|Al-Mustarshid}}]]から、数々の戦いでの勝利を讃えて「[[マリク]](メリク)」( ملك Malik/Melik、王)の称号を与えられ、これ以前の統治者たちも遡及的にメリク(王)と呼ばれるようになっている。
 
== 歴史 ==