「作並温泉」の版間の差分

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== 泉質 ==
* 単純温泉
* 含食塩芒硝泉。[[源泉]][[温度]]50度から60度<ref name="cn1top"/>。
 
== 効能 ==
[[胃腸]]病、[[皮膚]]病、[[リューマチ]]、[[婦人病]]、[[脚気]]、[[火傷]]<ref name="cn1top">ふるさとの文化遺産『郷土資料事典』4、38頁</ref>。
 
== 温泉街 ==
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== 歴史 ==
[[721年]]([[養老]]5年)に[[行基]]が[[東北地方]]巡行の際に発見したとも、[[1189年]](文治元年)に[[源頼朝]]が発見し[[奥州藤原氏]]征伐の際にここで兵馬を休めたともいうが、これ伝えは一個れる<ref name="cn2top">ふるさと伝説にすぎない文化遺産『郷土資料事典』4、37頁</ref>。しかし古くから地元の人に知られていたらしく、[[1760年]](宝暦10年)の『奥州里諺集』、[[1761年]](宝暦11年)の『奥州仙台領遠見記』に作並の湯のことが見える。湯渡戸という坂のそばに温泉があり、石などで囲って近在の者が入湯したが、湯治客が来るような著名な温泉地ではなかった。
 
[[1796年]]([[寛政]]8年)に[[岩松喜惣治]]が[[仙台藩]]の許しを得て開湯に着手した。<ref name="cn2top"/>、道路と設備を整えるのに8年を要したという。広瀬川の左岸(東岸)にある現在の鷹泉閣岩松旅館の前身である。これを古湯として、[[1855年]](安政2年)に開かれたものを新湯(神の湯)という。[[出羽国]][[村山郡]]猪沢の僧侶の[[泉]]<ref name="cn2top"/>、地元の[[石垣彦左衛門]][[奥山伊三郎]]3人で開き、作並神湯と称したものである。古湯の北西対岸にあり、現在の神の湯作並ホテルの前身である。
 
[[1878年]](明治11年)に作並温泉には古湯・新湯に1軒ずつの旅館があり、年間約2500人の入浴客を受け入れて、先発の[[秋保温泉]](4軒、約1800人)を凌いでいた<ref>2008年刊『仙台市史』通史編6(近代1)407頁。</ref>。[[1893年]](明治26年)には3軒あったが<ref>朝日新聞仙台支局『宮城風土記』第1巻107頁。</ref>、大正時代にはまた2軒に戻った。
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[[2004年]]に発生した[[温泉偽装問題]]では、温泉利用許可を受けていない旅館や、源泉の無断開発を行った旅館があったとして一連の騒動の中報道された。
 
== 周辺観光地 ==
* [[ニッカウヰスキー]]仙台工場 [[宮城峡蒸溜所]]
* [[鳳鳴四十八滝]]
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* 『仙台領の地誌』、今野印刷、2001年、ISBN 4-906607-17-9。(『奥州里諺集』、「奥州仙台領遠見記」を収録)
* 仙台市史編さん委員会『仙台市史』通史編6(近代1)、仙台市、2008年。
* ふるさとの文化遺産『郷土資料事典』4、人文社、1998年
 
== 外部リンク ==