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'''フン・セン'''({{Lang-km|ហ៊ុន សែន}} / Hun Sen, [[1951年]][[4月4日]]<ref>[[1952年]][[8月5日]]との説もある。</ref> - )は、[[カンボジア]]の[[軍人]]、[[政治家]]。[[民主カンプチア]]([[クメール・ルージュ|ポル・ポト派]]政権)で軍司令官を務めたが1977年に離脱。1978年の[[ベトナム人民軍|ベトナム軍]][[カンボジア・ベトナム戦争|進攻]]後は[[カンプチア人民共和国|親ベトナム政権]]の外相・首相を歴任。現在はカンボジア王国[[首相]]、[[カンボジア人民党]]副議長(副党首)を務める。
 
== 人物・来歴 ==
1951年、カンボジア東部[[コンポンチャム州]]の農家に生まれる<ref name=toyama1992p42>冨山(1992年)、42ページ。</ref>。父親は[[海南島]]出身の[[華人]]だと言われ、"Hun Sen" は「雲昇」という[[中国語]]([[海南語]])に対応する<ref>中国語メディア各社は「洪森」の字を当てている。</ref>。13歳のとき、勉学のため[[プノンペン]]に出た<ref name=toyama1992p42 />。
 
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[[1984年]]末の[[チャン・シ]]首相の死後、フン・センは同首相の葬儀委員長を務める。そして[[1985年]]1月14日、第8期国会において後任の閣僚評議会議長(首相)に選出され、外務大臣を兼務した。[[1990年]]9月にはカンボジア最高国民評議会 (SNC) 議員に就任。1991年10月18日、カンプチア人民革命党臨時党大会において、カンボジア人民党への改称が採択されるとともに、フン・センは党中央委員会副議長に選出され、序列第3位となった。1991年、[[ベトナム]]の{{仮リンク|ホーチミン国家政治・行政学院|label=グエン・アイ・クォック社会科学学院|vi|Học viện Chính trị - Hành chính Quốc gia Hồ Chí Minh}}より政治学博士号を授与。
 
[[1993年]]5月の[[国際連合|国連]]管理下の総選挙の結果、王党派の政党[[フンシンペック]]と人民党が連立で合意し、同年7月1日に[[ノロドム・ラナリット]]殿下と共に暫定国民政府共同首相に就任した。9月24日、新憲法が発効し、カンボジア王国が成立すると、第二首相に就任。
 
しかし政権内闘争が発展し、[[1997年]]7月にラナリットの外遊中に武力クーデターを起こし、連立相手であった[[フンシンペック]]を政権から排除した。その後はフンシンペック・反ラナリット派と連立の枠組を維持し、[[ウン・フオト]]外相を第一首相に就けた。
 
[[1998年]]11月、再びフンシンペックとの連立で合意し、ラナリットは下院議長に就任し、フン・センは11月30日に単独の首相に就任した。[[2004年]]7月15日、首相に再任。