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{{出典の明記|date=2007年5月|ソートキー=人1756年没}}
[[ファイル:Maria AmaliaBayern.jpg|thumb|皇后マリア・アマーリエ]]
'''マリア・アマーリエ・フォン・エスターライヒ'''
父ヨーゼフ1世死後の[[1722年]]、バイエルン公子だったカール・アルブレヒトと結婚した。2人は7子をもうけた。
*マクシミリアーネ(1723年)
*[[マリア・アントーニア・フォン・バイエルン|マリア・アントーニア]](1724年 - 1780年)
*テレーゼ・ベネディクタ(1725年 - 1734年)
*[[マクシミリアン3世ヨーゼフ (バイエルン選帝侯)|マクシミリアン3世ヨーゼフ]](1727年 - 1777年)
*ヨーゼフ・ルートヴィヒ・レオ(1728年 - 1733年)
*マリア・アンナ(1734年 - 1776年)
*[[マリア・ヨーゼファ・フォン・バイエルン|マリア・ヨーゼファ]](1739年 - 1767年)
マリア・アマーリエは皇帝の娘という立場では、叔父[[カール6世 (神聖ローマ皇帝)|カール6世]]の娘である従妹[[マリア・テレジア]]と同じであった。そのため、マリア・テレジアが[[ハプスブルク家]]の家督を相続することになると、夫カール・アルブレヒト選帝侯が妻の権利を主張して[[オーストリア継承戦争#オーストリア・バイエルン戦争|オーストリア・バイエルン戦争]]を起こし、[[1741年]]に[[チロル]]と[[ボヘミア]]を占領、同年にボヘミア王、翌[[1742年]]には神聖ローマ皇帝に即位した。
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{{DEFAULTSORT:まりあ あまりえ}}
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