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== 歴史 ==
=== 設立経緯 ===
[[渡嘉敷勝男]]〜[[ルペ・マデラ]]が[[世界ボクシング協会|WBA]]王者の時代、奈良池田ジムの[[新垣諭]]が、WBA世界[[ライトフライ級|ジュニアフライ級]]チャンピオンに挑戦する機会を待っていた。しかし、渡嘉敷vsマデラは微妙な判定の試合を繰り返し、結果4度の対戦をすることになり、挑戦の機会が与えられなかった。前世界王者の渡嘉敷のマッチメイクを優先する[[日本ボクシングコミッション]](JBC)に対し、我慢の限界であった奈良池田ジム並びに新垣は、当時[[アメリカ合衆国|米国]]で設立されたばかりであり、JBCも公認するかどうか迷っていたIBFのチャンピオン決定戦に出場することにした。これに対しJBCが激怒、奈良池田ジムをJBCから除名し、以後日本での試合を組むことを認めない判断を下した。これを受け奈良池田ジムも、池田久会長自らがIBFから日本での興行主の認定を貰い、それと同時にUSBA/Iから改称したIBFが[[1983年]]に入り日本支部設立を発表。前述の池田会長らが、日本IBFの役員に就任。JBCはIBFの動きに対し、[[日本のボクシング史]]の伝統「一国一コミッション」の原則を守るため日本IBFを認めず、日本IBFに参加した者はライセンス無期限停止(事実上の[[除名]])などの処分を課すと発表する。
 
=== 設立後 ===
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87年には[[大韓民国]]で[[マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟]]のメインエベンターと国際式兼業の[[士道館]][[松田利彦 (キックボクサー)|松田利彦]]が[[崔漸煥]]の保持するIBF世界ジュニアフライ級王座挑戦も4RKO負け
 
一時期、活動休止が続いていたが[[1997年]]夏、活動再開。[[飯泉健二]]のように網膜剥離でJBCのリングに上がれなくなったボクサーも出場した。また、当時JBC及びオサムジムとの軋轢を受けてJBCボクサー引退を余儀なくされていた[[西島洋介|西島洋介山]]にも声をかけていた<ref name=master>[http://ameblo.jp/stanbox7/entry-10918028211.html IBF日本創設者 池田久会長 逝く] BOXING MASTER</ref>。JBCはJBCの認定なくしては日本で「プロボクシング」のあらゆる試合は成立しない、とJBCは主張しているがルール第1条「日本ボクシングコミッション・コミッショナーは(財)日本ボクシングコミッション(以下JAPAN BOXING COMMISSION=JBC)管轄下で行われる日本での全てのプロフェッショナル・ボクシング(以下プロボクシング)試合公式試合場におけるスパーリング及び慈善試合を含む)を指揮及び監督する権能を有する。」の「JBC管轄下で行われる」の文言は1997年日本IBF活動再開時に[[独禁法]]違反の回避に盛り込まれた
 
2000年代初頭には[[女子ボクシング|女子部門]]も設置。IBF京都に所属した山木うの(当時別に存在した[[日本女子ボクシング協会|JWBC]]の実質トップだった[[アルファボクシングジム|山木ジム]]創始者山木敏弘とは血縁及び師弟関係等なし)を看板選手として女子プロレスラーの[[藤田愛]]らと対戦させた。
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[[ピューマ渡久地|渡久地隆人]]、[[八尋史朗]]、[[ロッキー・リン]]に代表されるJBCトップ選手がIBF世界ランキングに名を連ねたことがあるが、彼等は日本IBFと無関係である。このようにIBFでは世界ランキングに、未加盟のはずのJBCのトップ選手の名前を無断で使っていた。
 
なお、2003年9月6日に[[京都府]][[亀岡市]]([[道の駅ガレリアかめおか|ガレリアかめおか]]・コンベンションホール)において開催した「IBF日本チャリティーKOボクシング」(IBF京都主催・ノンタイトル5試合)を最後に、日本IBF関連の興行は行われていない(2012年現在)
 
2011年6月8日、池田久逝去<ref name=master/>。
 
2013年4月にJBCがIBFを加盟することに至ったため、日本IBFは自然消滅の格好になった。近い将来は、[[ビッグバン実行委員会]]がムエタイの最高峰の舞台ラジャダムナン・[[ルンピニースタジアム|ルンピニー]]両スタジアム的に興行内に1試合[[ボクシング|国際式ボクシング]]を組み込み、(かつての日本IBFやJWBC的に)JBC・日本プロボクシング協会管轄外で[[日本のボクシング史]]に新たな一ページを加える事も期待されている。
2013年4月にJBCがIBFを加盟することに至ったため、日本IBFは自然消滅の格好になった。
 
== 脚注 ==