「バルバロッサ作戦」の版間の差分

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ドイツのソ連侵攻を『我が闘争 ''Mein Kampf''』の読者は驚かなかった。[[ヒトラー]]はその本でドイツ人が生活圏(Lebensraum)を必要とし、それが東方で捜されることになっていたという考えを明らかにした。それは彼らが劣等人種であると考えたロシア人を殺すか、追放するか、奴隷にし、かつ再植民するという[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチ党]]の政策だった。
 
バルバロッサ作戦の前、[[ナチス・ドイツ]]およびソ連は、[[ポーランド]]への侵入直前に[[独ソ不可侵条約|モロトフ=リッベントロップ協定]]に調印し友好関係にあった。それは表面上ドイツとソ連が[[東ヨーロッパ]]を分割する方法について合意した相互安全保障協定であり、独ソ相互の敵意および全くの敵対したイデオロギーに反するものとして世界は驚いた。しかし、ヒトラーは長い間劣等人種と考えたスラブ人から搾取するために西ロシアを征服したがった。したがって、協定は単に相互の短期間の便宜のものであった。また、ナチ党は協定の破棄に不安を持たなかった。
 
[[スターリン]]が残忍であるという評判はソ連を侵攻目標にするようにナチスを誘惑した。1930年後半にスターリンは大粛清で経験豊富で有能な陸軍士官および戦略家を含む何百万もの人々を殺した。そしてそれは[[赤軍]]の弱体化と指揮官の不足に影響した。ナチ党は「下位の」スラブ人に対する宣伝で、しばしばソ連の政権の残酷性を強調した。