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ウェードがプロテニス選手に転向した[[1968年]]は、[[テニス]]の歴史の中でも最大の転換期に位置する。この年に[[グランドスラム (テニス)|テニス4大大会]]の「オープン化」が実施され、プロ選手たちに出場の道が開かれた。それ以前は、4大大会の出場資格はアマチュア選手に限定されていた。成功を収めた多くの一流選手たちがプロに転向したため、世界一の威信を誇るウィンブルドン選手権でさえも、世界最強レベルの選手の姿が消えるジレンマが長期間続いていた。そのため、「オープン化」という措置によってプロ選手にも4大大会出場の道を開いたのである。その年に、ウェードはアマチュア選手として故郷の[[ボーンマス]]で開かれた「全英ハードコート選手権」で優勝する。その5ヶ月後、ウェードはプロ選手として[[全米オープン (テニス)|全米オープン]]で4大大会に初優勝を飾る。決勝で[[ビリー・ジーン・キング]]夫人([[アメリカ合衆国|アメリカ]])を 6-4, 6-2 で破り、「オープン化
ウェードのテニス人生最大のハイライトは、何と言っても[[1977年]]の[[ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]選手権大会である。準決勝で大会前年優勝者の[[クリス・エバート]]を 6-2, 4-6, 6-1 で破ったウェードは、決勝で[[ベティ・ストーブ]]([[オランダ]])と対戦することになった。決勝戦のセンター・コートは1万4000人の満員の観客で埋め尽くされ、この年に即位25周年を迎えたイギリス女王[[エリザベス2世 (イギリス女王)|エリザベス2世]]の見守る中、ウェードはストーブに 4-6, 6-3, 6-1 の逆転勝利を収め、自身17度目の挑戦でウィンブルドン選手権に初優勝を果たした。これはウェード自身にとっても、32歳の誕生日の9日前に達成した記念碑的な偉業であった。
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