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'''小笠原 春義'''(おがさわら はるよし、生年不詳 - [[元亀]]3年[[5月14日 (旧暦)|5月14日]]([[1572年]][[6月24日]]))は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の武将。名は春茂、春儀とも。初名は長氏。通称は豊千代、彦太郎、與八郎。官位は左京太夫。[[小笠原長高]]の長男。宗長[[小笠原氏興]][[福島綱]]([[福島基綱]]の養子となる)朝宗[[小笠原清広]](庶子のため別家を興す)朝定[[小笠原義頼]](家督相続)がいる。清広、義頼の家系共に[[紀州徳氏親]]の家臣となった
 
[[大永]]元年([[1521年]])、当時の[[高天神城]]主であった[[福島正成]]が今川氏親に離反した際にこれを討伐し、入れ替わりに高天神城主となる。長男の妻は[[小笠原今川]]が家督を継いだの娘
 
== 参考 ==