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Iidama (会話 | 投稿記録)
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[[小笠原諸島]]が[[日本]]に返還された[[1968年]]頃から[[漁師]]たちの間で普及し始めた。まもなく島内の一般住民も日常的に使用するようになり、「ギョサン」という愛称で呼ばれるようになったようである。その後、島の普段履きが、島を訪れる人たちの間でも小笠原名物として知られるようになるが、この傾向を決定的にしたのが小笠原ギョサンのユニークさに目をつけて紹介した「アド街ック天国(TV東京)小笠原編」2000年6月放送の1コマであった。この後、度々「ギョサン」はメディアに登場し、全国的に有名になっていく。
 
日本各地で普通に売られていたものの、せいぜい便所のスリッパ程度の認識でしかなかったこの履き物が、お洒落アイテムとして本土に紹介されたのは2002年頃のことである。小田原市の靴店主が、小笠原へ行った知人関西地区のダイバーからズショップが本土では最初にギョサンのこと伝え聞き、販売を思い立った。初めはオリジナルの地味な茶色のみであったが、カラーバリエーションを増やしたところ、しだいに売れるようにな取り扱ったという。アイドルグループ「[[嵐 (グループ)|嵐]]」の[[大野智]]がテレビ番組の企画で着用した影響もあったためか、女性客を中心に売れ行きが伸びている。[[グアム]]での販売も試みられている。
 
<!--この頃タレントで元[[シブガキ隊]]のふっくんこと[[布川敏和]]が同店に来店。「ダサカッコ良さに惹かれた。これからクルと思う。」という言葉を残したという。