「アクティウムの海戦」の版間の差分

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== 経過 ==
[[File:Battle of Actium-en.svg|thumb|left|250px|両軍の布陣。赤がオクタヴィアヌス軍、紫がアントニウス軍]]
アントニウスは総司令部をペロポンネソス半島沿岸の[[パトラ]]に置き、艦隊を[[アンヴラキコス湾|アンブラキア湾]]([[:en:Ambracian Gulf|en]])へと集結。一方で[[マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ]]はアンブラキア湾内を封鎖、アントニウス軍の動きを封じ込めると共に補給路の遮断を狙った。翌年の前31年[[9月2日]]、アクティウム岬沖で両軍が500隻以上の艦船を投じて決戦が行われた。
 
兵員の数ではアントニウス・クレオパトラ連合軍が上回っていたが、両軍が少し交戦した時点でクレオパトラの艦隊が戦線を離脱し、アントニウスはこれを追って撤退したため、[[指揮官]]を失ったアントニウス軍は陸海ともに総崩れとなって潰走、オクタウィアヌスの勝利となった。