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Macinchan (会話 | 投稿記録)
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[[Image:Kegon falls nikko 2006-11-04.jpg|thumb|240px|right|最期の地([[華厳滝]])]]
[[File:Monument of Misao Fujimura.jpg|thumb|right|240px|「藤村操君絶命辞」の碑。[[青山霊園]]。]]
'''藤村 操'''(ふじむら みさお、[[1886年]](明治19年)7)[[720日]]<ref>検証藤村操p224より</ref> - [[1903年]](明治36年)[[5月22日]])は[[北海道]]出身の[[第一高等学校 (旧制)|旧制一高]]の学生。[[華厳滝]]で[[飛び降り|投身自殺]]した。自殺現場に残した遺書「巌頭之感」によって当時のマスコミ・知識人に波紋を広げた。
 
== 出自と家庭 ==
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ただし、この当時はろくな翻訳などなかった時代であるから、本などに引用されている一節を読んで全体の内容を早合点してしまうことは大いにありえることであり<ref>「藤村操の手紙」華厳の滝に眠る16歳のメッセージp.159-p160</ref>、{{誰範囲2|このことを以て藤村操の英語読解力が欠如していたということにはならないと考えられる|date=2014年11月}}。
== 参考文献 ==
 
*平岩 昭三 『検証藤村操―華厳の滝投身自殺事件』 不二出版 ISBN 978-4-8350-1523-1
== 脚注 ==
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