「エルナン・コルテス」の版間の差分

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{{要出典範囲|date=2015年3月|コルテスはアステカ文明を完膚なくまでに粉砕し、その文化に全く理解を及ぼさなかった。また、コルテスはキリスト教徒、それも敬虔なる[[カトリック教会|カトリック]]信徒であったがために、インディオの社会が持っていた[[人身供犠]]などの「野蛮」とされる側面のみをあげつらい、インディオの習慣を廃止させることに成功したが、コルテスの略奪行為に依るものであったことが明らかにされるのは後世のことであった。}}
 
もっとも、コルテス以外の[[メキシコ]]の[[コンキスタドーレス]]たちも同様であり、インディオに対する略奪行為を咎める者はほぼ皆無であった(中南米での虐殺・虐待を告発したコンキスタドーレスも存在したことも事実であるが少数者に留まる<ref name="WDL">{{cite web |url = http://www.wdl.org/en/item/515/ |title = Mirror of the Cruel and Horrible Spanish Tyranny Perpetrated in the Netherlands, by the Tyrant, the Duke of Alba, and Other Commanders of King Philip II |website = [[World Digital Library]] |year = 1620 |accessdate = 20132015-0803-2522 }}</ref>)。事実、彼らは征服先で黄金を略奪し、インディオの大量虐殺を行った。そして多くのインディオ女性を強姦し、さらには征服が一段落したのちは征服者としての政治的経済的な力でこれまた多くのインディオ女性を妾として所有した。コルテス自身も、インディオ女性の[[マリンチェ]]を妾として寵愛し、彼女との間に生まれた子供にマルティンと名付けており、現在も末裔がメキシコにいる。
 
かつてはコルテスの行為に関しては、インディオたちを人身供犠などを掲げる残酷な旧来の宗教の因習や鞏固な身分制から解放した、宣教師によって福音に接することが出来た、などと肯定的に捉える見解が大半を占めた。{{独自研究範囲|date=2015年3月|だが、スペイン人による隷属と搾取は、先住民の文化・伝統・宗教を徹底的に粉砕し、先住民は白人入植者たちに奴隷の様に使役されるという状況に置かれた。このため現在では、コルテスの行為は'''文化破壊行為'''として批判的に受け取られている。}}