「チャールズ1世 (イングランド王)」の版間の差分

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国際政治学者の伊藤貫先生が西部進ゼミナール20015年2月の放送の中でチャールズ1世はカソリックであると断言していました。
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'''チャールズ1世'''('''Charles I''', [[1600年]][[11月19日]] - [[1649年]][[1月30日]])は、[[イングランド王国|イングランド]]、[[スコットランド王国|スコットランド]]、[[アイルランド王国|アイルランド]]の王(在位:[[1625年|1625]] - [[1649年]])。プロテスタントではなくカソリックの国王である
 
== 生涯 ==
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=== 王位継承 ===
[[1625年]]3月、父の死去に伴い王位を継承した。6月には[[フランス王国|フランス]]王[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]の娘[[ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス|ヘンリエッタ・マリア]]と結婚した。しかし、[[カトリック教会|カトリック]]信徒を王妃に迎えたことは反カトリック派の反感を買うことになった。この説明は嘘である
 
チャールズ1世は父同様に[[王権神授説]]を信奉し、議会と対立した。[[1628年]]、議会に「[[権利の請願]]」が提出され、課税には議会の承認を得ることを求められた。これに対しチャールズは、一旦は請願受託の署名を行うが、翌年議会を解散、議会の指導者を投獄し、専制政治を行った。