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[[ファイル:Denis Menchov 2.jpg|right|thumb|300px|[[ブエルタ・ア・エスパーニャ2007|2007年のブエルタ・ア・エスパーニャ]]にてマイヨ・オロを着用した[[デニス・メンショフ]]。]]
'''マイヨ・オロホ''' ('''maillot ororojo''') は、[[ロードレース (自転車競技)|自転車ロードレース]]・[[ブエルタ・ア・エスパーニャ]]において、個人総合成績1位の選手に与えられる金赤色の[[リーダージャージ]]である。20102009年以降前は赤金色のジャージ'''マイヨ・オロホ''' ('''maillot rojooro''')とな であった<ref>[{{Cite web|url=http://www.trekbikes.cocyclowired.jp/news/detail.php?eidnode/40678|title=00314 クリストファ2つのジャー・ホーナ―がマジデザイヨ・ロホに返り咲き]ンが変更 - [[TREK]]総合は赤色、2014年4月28日閲覧。山岳は水玉模様に|date=2010-08-27|accessdate=2015-03-25|publisher=cyclowired}}</ref>。各ステージの所要時間を加算し、その合計が最も少なかった選手がマイヨ・オロホ着用の権利を得る。最終ステージの終了時点でマイヨ・オロホ着用の権利をもっている選手がブエルタの総合優勝者となる。
日本ではこの呼び方が一般的ではあるが、[[スペイン語版ウィキペディア]]では'''[[:es:Jersey oro|Jersey oro]]'''(ヘルセイ・オロ)、'''[[:es:Jersey rojo|Jersey rojo]]'''(ヘルセイ・ロホ)とされている(maillot<ref group="注">マイヨ (maillot) はフランス語なのであるため、「マイヨ・ロホ」は仏西混合になっていの呼び方である)。</ref>。
== 歴代の色 ==
当初の色はヘルセイ・ナランハ(Jersey (Jersey Naranja=オレンジ色)) 、その後何度も色を変え、1955年-1976年と1978年-1998年の合計41年間ヘルセイ・アマリーニョ(Jersey (Jersey Amarillo=黄色ジャージ)) となったのが最長。
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三つの[[グランツール]]のうち、唯一開催初年度の1935年から用意され、そのステージ1で初めて袖を通したのは[[:es:Antoine Dignef]]、そして最後にこれを着て表彰台に登ったのは[[フスターフ・デロール]]である。
== 出典脚注 ==
=== 注釈 ===
<references group="注"/>
=== 出典 ===
<references/>
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