「ヴェネツィアン・グラス」の版間の差分

[[ヴェルサイユ宮殿]]の「鏡の間」はムラーノ島から連れ出された12人の職人が作成したと言われている。
この時代に一番力を注いだ技法が[[エナメル]]装飾で、[[貴族]]達は華麗な絵付けの施されたガラス製品を競うように買い求め、エナメル絵付けの施されたガラス製品を持つことがひとつの社会的ステータスとなった。
またこの時代にソーダガラスに消色剤を加え透明度の高い無色透明のガラス(クリスタッロ)の製法が確立された。これは他国には無い技術であり、王侯貴族の間で高く取引された(その精巧な技術による薄さは毒を入れると割れるという噂も手伝って王侯貴族の間で取引されたとも言われる)。成形前のガラスをガラス塊を冷却水につけて模様を生じさせるアイス・ガラス(ア・ギアッチョ)もこの時期に開発された。レース・ガラスの発明もこの頃で、以降のヴェネツィアン・グラスの代表的な装飾技法となった。ただし、この時期はガラス職人が法の網の目をかいくぐって海外に流出した時期でもある。これによってヴェネツィアン・グラスの技法と様式が海外に広められたとも言える。
 
[[17世紀]]・[[18世紀]]には、ヴェネツィア風のガラス製品がヨーロッパ中で大流行した。