「清ノ森政夫」の版間の差分
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[[四股名]]も序二段に付いた時の「佐々木」から、「清ノ森」→「清勢川」→「清乃盛」→「清の盛」と、下の名前も含め度々改名している(幕内では「清ノ森」を名乗っていた時期が長く、「清の盛」の四股名では幕内を務めていない)。色白で長身の痩せ型、美形であり女性人気があったが、痩せているのは太れない体質のためであった。技能力士であり、素早い動きと足技を得意とした。
なお、1度目の十両優勝
最後の入幕を果たした場所([[1963年]]11月場所)
[[1967年]]5月場所限りで引退後は岳父から'''[[木瀬部屋]]'''を継承し、[[小結]]・[[青葉山弘年|青葉山]]、十両・[[天剛山隆清|天剛山]]を育てた。
真面目で事務能力に長けてい
その後、[[一門 (相撲)#出羽海一門|出羽海一門]]の元前頭筆頭・[[肥後ノ海直哉|肥後ノ海]]が木瀬部屋を再興したが、部屋としての連続性はない。しかし、名跡を譲った肥後ノ海とは交流があり、断髪式にも参加した。
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