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時代的な画期としては、[[西ローマ帝国]]が崩壊した[[476年]]を[[古典古代]]の終わりとする意識に対応して、[[東ローマ帝国]](ビザンチン帝国)が[[オスマン帝国]]に打倒された[[1453年]]と見なすことが多かった。これは、古代帝国の遺産である東ローマ帝国が、[[オリエント|東方]]の異質な[[文明]]を持つ[[トルコ人]]に打倒されたという事件自体の衝撃もさることながら、[[コンスタンティノポリス]](コンスタンティノープル)から[[イタリア半島]]に亡命してきた多くの学者が[[西ヨーロッパ]]の古典古代研究を刺激し、ルネサンスの人文主義隆盛のきっかけになったという実際的な面を反映していた。
 
しかしながら、今日では[[成文憲法]]・[[国民国家]]と[[資本主義]]といった近代を象徴する社会・経済・国家のあり方が現れた[[18世紀]]末期から[[19世紀]]前半を近代の本格的な始まりとして、東ローマ帝国滅亡からルネサンスを経て[[産業革命]]までの時代を「近世(初期近代)」として「近代」から区別する。その場合、大きな転機となった[[フランス革命]]の勃発([[1789年]])が転換点と見なされることが多い。従って、この場合はフランス革命から<!--[[東欧革命]]まで (東欧革命は現代にも区分される。ポストモダンという言葉は東欧革命以前にも使われていた。)-->が「近代」と見なされる。
 
一方で、日本の歴史学では、ヨーロッパの初期近代に当たる時代の区分として「[[近世]]」という語が広く定着しており、多くの場合、近代とはっきり区別される。