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'''慶誾尼'''(けいぎんに、[[永正]]6年([[1509年]])-[[慶長]]5年[[3月1日 (旧暦)|3月1日]]([[1600年]][[4月14日]]))は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から[[安土桃山時代]]にかけての女性。龍造寺後家とも。
 
== 生涯 ==
[[村中龍造寺]]家の当主[[龍造寺胤和]]の娘で、[[龍造寺周家]]の正室となる。周家との間に嫡男の[[龍造寺隆信]]を生んだ(次男の[[龍造寺信周]]や三男の[[龍造寺長信]]らは母親が違う可能性もある)。天文14年([[1545年]])に[[少弐氏]]の重臣[[馬場頼周]]の謀略で夫の周家は殺された。弘治2年([[1556年]])に龍造寺氏の家臣[[鍋島清房]]の継室として嫁ぎ、清房の嫡男[[鍋島直茂|信生(直茂)]]の継母となった。