「古河城」の版間の差分

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== 概要 ==
古河城の起源は、[[平安時代]]末期あるいは[[鎌倉時代]]初期に、[[下河辺行平]]が古河の立崎(竜崎)に築いた城館とされている。[[室町時代]]には、[[古河公方]]・[[足利成氏]]が本拠とし、以後、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の関東における中心の一つとなった。[[江戸時代]]には、多くの[[譜代大名]]が入れ替わりで城主を務め、近代城郭として整備された。[[古河藩]]庁が置かれ、行政機能を担うとともに、[[征夷大将軍|将軍]]の[[日光社参]]時の宿として、あるいは[[江戸城]]の北方の守りとしても機能した。[[明治時代]]初期の[[廃城令]]により廃城となり、明治末に開始された[[渡良瀬川]]の改修工事により、残された城跡も大半が消滅した。渡良瀬川の堤防上、[[三国橋 (渡良瀬川)|三国橋]]と[[新三国橋 (国道354号)|新三国橋]]の中間付近には「古河城本丸跡」と書かれた標柱が設置されているものと古河史楽会作成、周辺に説明板などは設置されていない(2008る。(201594月現在)。
 
古河城は渡良瀬川の河畔にあり、城の位置付けは人と川との関わりに影響されてきた。