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=== 教育界 ===
* [[石原忍]] - 1943年1月から1946年1月まで、[[前橋医科大学|前橋医専門学校]]校長であったが、以前に軍歴があり、教職追放になり、自宅開業になった。
* [[板沢武雄]] - 日本近世史、日蘭貿易史を専門とする歴史学者。元東京帝国大学教授、[[法政大学]]教授。1948年1月から公職追放。1952年法政大学教授となる。
* [[小野清一郎]] - [[東京大学]]法学部教授(刑法)。1946年から1951年まで追放。
* [[紀平正美]] - [[学習院]]教授。[[国民精神文化研究所]]役員だったため公職追放され、追放解除されないまま1949年死去。
* [[木村秀政]] - 東京大学教授(航空力学)。戦時中、軍用機の開発に関わったことが問題視された。[[日本大学]]教授(後に名誉教授)。
* [[杉靖三郎]] - 1928年東京帝国大学医学部卒。[[橋田邦彦]]の下で電気生理学を専攻。日本的科学に賛同し1941年国民精神文化研究所文化部主任。1947年3月 - 26年8月 公職追放。1946年 - 1951年 医学書院 編集長 1952年 - 1969年[[東京教育大学]]教授。戦後、公職追放になったが、セリエのストレス学説を紹介し、セックス評論、大衆医学知識の領域で活躍した。
* [[西田直二郎]] - 歴史学者としては「文化史学」「文化史観」の提唱で知られる。政治・思想においては保守的であり、滝川事件後の新聞部長に就任、新聞部内で高まりを見せていた自由主義擁護の風潮を押さえる側に回った。戦時中は国民精神文化研究所所員として戦意高揚に努めたが、これらの経歴が戦後の公職追放処分の理由になった。
* [[西谷啓治]] - 日本の哲学者・宗教哲学研究者。京都学派に属する。公職追放後、[[京都大学]]文学部名誉教授、文化功労者。
* [[平泉澄]] - [[歴史学者]]、[[東京帝国大学]]教授。[[皇国史観]]の権威。1948年公職追放、1952年追放解除。
* [[松前重義]] - [[東海大学]]創設者。戦時中は大政翼賛会総務部長、のち[[逓信省]]工務局長。1946年に公職追放、1950年に追放解除。
* [[宮川米次]] - は、日本の医学者、病理学者、細菌学者。愛知県豊橋市出身。医学博士。東京大学名誉教授。東京帝国大学伝染病研究所所長を務め、伝染病・感染症の拡大防止、撲滅などに寄与した。公職追放され、後解除。
* [[八木秀次]] - [[八木・宇田アンテナ]]の開発者。電気工学者。戦時中は内閣技術院総裁。1946年[[大阪帝国大学|大阪帝大]]総長に就任するが、その直後に公職追放。追放中は[[日本アマチュア無線連盟]]会長。1951年追放解除。同年[[日本学士院]]会員になる。文献によっては教職追放とあり、追放期間にも、[[日本国有鉄道|国有鉄道]]審議会委員、[[日本学術会議]]会員、科学技術行政協議会委員、[[電気通信省]]運営審議会委員、日本工業標準調査会委員、[[参議院]][[全国区]]に出馬(落選)、外資委員会委員を務めている<ref>沢井実 「八木秀次」吉川弘文館、2013年、isbn 978-4-642-05268-9</ref>
* [[山田孝雄]] - [[日本語学者|国語学者]]、[[皇學館大学|神宮皇學館大學]]学長。公職追放は1946年、追放解除は1951年。