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祖父は陸佃。父の陸宰が家族と共に転勤のため[[淮河]]を移動している途中、舟の中で生まれた。その後、父が京西路転運副使に赴任するが、翌年[[金 (王朝)|金]]の侵攻をうける直前に免官されたおかげで難を逃れ、故郷に無事たどり着いた。このような境遇のなか、父がその友人達とともに論じた主戦論を聞いて育ち、強い愛国心と対金強硬論をもつに至った。
 
20歳になり、母方の[[いとこ]]である唐婉と結婚し仲睦まじかったが、なぜか陸游の母親・唐氏の気に入は2人が結婚してかれず不幸が続く事から占い師すぐ離縁させ見てもれるったのちにそれぞれ互に他の相手と再婚し師は沈園という庭園を散歩中に偶然再会する。そこで交わした詞「釵頭鳳」は有名である。陸游唐婉がこままは、後年折に触れ彼女のこたら不幸が続くして離婚追憶す勧め。母親も唐婉が子供作るほど深生まなのがあった。て占い師の意見に
従い二人を離婚させた。のちにそれぞれ互いに他の相手と再婚し、沈園という庭園を散歩中に偶然再会する。そこで交わした詞「釵頭鳳」は有名である。陸游の唐婉への思いは、後年折に触れ彼女のことを追憶する詩を作るほど深いものがあった。
 
29歳のとき、[[科挙]]の第一段階の解試(両浙路漕試)において首席で合格したが、これが運悪く権力者[[秦檜]]の孫である秦塤を差し置いたことになり、中央試験である省試において横やりで不合格にされるという妨害を受けた。これにより科挙に及第するための資格を奪われ、エリートとしての出世の道を閉ざされた。しかし陸游は秦塤には遺恨はなく、後年陸游が[[四川省|四川]]に赴任する道中、[[建康 (都城)|建康]]に隠棲していた秦塤の邸宅を訪れている。秦塤も滞在中の陸游一行を厚くもてなしたらしく、陸游の家族に病人が出たとき、医師を呼んだり薬を届けたりしている。