「尚忠王」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Nanafa (会話 | 投稿記録)
出典の明記
編集の要約なし
7行目:
| 画像サイズ =
| 画像説明 =
| 在位 = 14391440年-1444年
| 戴冠日 =
| 全名 = 尚忠
16行目:
| 出生日 = [[1391年]]
| 生地 =
| 死亡日 = [[1444年]][[12月3日]]
| 没地 =
| 埋葬日 = 1444年
31行目:
| 母親 = 伊波按司の妹
}}
'''尚 忠王'''(しょう ちゅうおう、[[1391年]]([[洪武]]24年) - [[1444年]][[12月3日]]([[正統 (明)|正統]]9年[[10月24日 (旧暦)|10月24日]]))は、[[琉球王国]]の第一尚氏王統・第3代国王(在位:[[14391440年]] - [[1444年]])。第2代[[琉球国王]]。
 
[[尚巴志王]]の次男。尚巴志王が[[今帰仁城]]の[[攀安知]](はんあんち)を滅ぼして北山王の領土を併合すると、初代[[北山監守]]となった。1439年に尚巴志王の死去により即位した。尚忠王は使者を派遣し馬、貢物を入貢した。また[[ジャワ]]にも使者を派遣し、[[コショウ|胡椒]]、[[スオウ|蘇木]]を買わしめたり、南方貿易にも力を入れた。在位わずか5年、54歳のとき崩じた。