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[[イギリス軍]]の[[トーマス・エドワード・ロレンス]]は、[[第一次世界大戦]]において[[アラブ反乱]]を率いて[[オスマン帝国]]と戦った。彼の取った[[作戦]]は、オスマン帝国との正面からの衝突ではなく、[[ヒジャーズ鉄道]]を神出鬼没に攻撃してより多くの[[オスマン帝国軍|オスマン軍]]部隊を[[鉄道]]沿線に張り付け、[[イギリス軍]]の[[パレスチナ]]での進軍をしやすくすることにあった。彼の取った戦法は、各国のゲリラ戦術や[[特殊部隊]]に影響を与えた。
[[第二次世界大戦]]では、[[中華民国]]、[[ポーランド]]、[[ユーゴスラビア]]、[[ギリシャ]]、[[ソビエト連邦|ソ連]]、[[フランス]]、[[スロバキア]]、[[フィリピン]]、[[ベトナム]]、[[イタリア]]([[ベニート・ムッソリーニ|ムッソリーニ]]の失脚後)など、[[枢軸国]]の侵攻を受けた諸国で占領軍に対するゲリラ戦が展開され、[[ヨーロッパ]]のゲリラは、特に[[レジスタンス運動]]や[[パルチザン]]と呼ばれた。これらのゲリラの主任務は、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]軍の正規軍と連携し、戦線の後方で[[破壊活動]]や[[諜報活動]]をすることであった。ただし、中国とユーゴスラビアのゲリラは山岳地から勢力を拡大して[[都市]]の争奪にまで乗り出した。大戦末期に[[ソビエト連邦軍|ソ連軍]]が[[東ヨーロッパ|東欧]]や[[バルト三国]]を占領すると、枢軸軍と戦っていたゲリラは国民の解放を求めてソ連軍相手にゲリラ戦を続け、[[ウクライナ]]や[[リトアニア]]、[[エストニア]]、[[ラトビア]]では[[ウクライナ蜂起軍]]や[[森の兄弟]]による抵抗運動が戦後も暫く続いた。
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