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==経歴==
1953年、[[千葉大学]]工学部工芸化学科写真映画専攻を卒業<ref name="sm">『サンデー毎日』1986年10月26日号</ref>。[[毎日新聞社]]に入社。1960年10月12日、[[日比谷公会堂]]で[[日本社会党]]委員長[[浅沼稲次郎]]が[[浅沼稲次郎暗殺事件|刺殺]]される瞬間を撮影する。カメラの最後に残っていたフィルム1枚での撮影だった(撮影の経緯は[[沢木耕太郎]]の著書『テロルの決算』に詳述されている)。これにより、1961年、日本人初のピューリッツァー賞を受賞する。同じ写真でピューリッツァー賞の他に世界報道写真大賞も受賞しており、こちらも日本人初の受賞となっている<ref name="asahi20090629">{{Cite web
|date=2009-06-29
|url=http://www.asahi.com/national/update/0627/TKY200906270040.html
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|accessdate=2009年6月29日
}}</ref>。1962年1月、毎日新聞社を退社しフリーとなる。
 
その後、東京都豊島区に自宅兼事務所を構え、外国通信社の記事翻訳を手伝ったり、航空会社の広報誌の編集に参加したりといった細かい仕事で生計を立てる<ref name="sm" />。1986年には、独身で結婚歴なし、天涯孤独と報じられた<ref name="sm" />。
 
2009年5月2日、自宅のアパートを訪ねた知人により死亡しているのを発見される。死後数日が経過していると推測された。享年80(満78歳)<ref name="mainichi"/>。生涯独身であった。その後、静岡県南伊豆町の自宅で遺品を整理していた遺族らによってピューリッツァー賞の受賞証書が発見された<ref name="asahi20090629"/>。