削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
143行目:
主な意見として、一つは民法と商法とは密接な関係にあるにも関わらず、民法はフランス系で商法はドイツ系で法体系が違っており、双方の間に重複が多すぎるという指摘である。特に「契約作成能力」や「[[委任]]契約」に至っては2つの法律の間に矛盾さえ生じていた。もう一つはロエスレルが日本の商慣習を「曖昧で前近代的で全く考慮に値しない」と評して[[慣習法]]としての価値を全く認めようとしなかったことがある。[[穂積陳重]]らが商法はそもそも商慣習の集成に由来するのに現地の商慣習を無視した商法はありえないと主張した事もあって、実際の商法では商慣習を認めたものの、低い地位に置かれていた。
 
だが、同じ商工会議所でも海外貿易の盛んな大阪では早期施行を要求する嘆願が、逆に東京では施行延期を求める嘆願が出されるなど、複雑な展開を見せた。結局、商法の施行は2年間(後に期限は更新された)延期されることになった。だが、後に東西の商工会議所の間で日本に具体的な規定がない[[会社法]]や[[破産法]]については暫定的に商法を施行すべきであるという意見の合意を見た事もあって、[[1893年]]7月に会社・手形及び小切手・破産法の部分の先行施行が実施された。そして、[[1898年]]7月に施行期限延長手続の中止によって全面施行に至る。もっとも新しい商法草案が既に[[帝国議会]]において審議中でその成立が時間の問題だったために敢えて再度の延長手続は取られなかったというのが実情とも言われている(実際、旧商法は1年弱の期間しか施行されなかった)
 
[[1893年]]3月、[[梅謙次郎]]・[[岡野敬次郎]]・[[田部芳]]によってドイツ商法を基本にした草案が出され、当時の[[伊藤博文]][[首相]]を長とする[[法典調査会]]において審議され、梅と穂積陳重・[[富井政章]]によって商法法案として纏められた。[[1899年]]3月に新しい商法が公布され、3か月後に旧商法(破産法は旧商法をそのまま転用)に代わって施行されることになった。主な改正点としては、会社設立を許可制から[[準則主義]]にし事実上の自由化を行ったこと、商慣習の地位を引き上げて商法にない規定は商慣習法を援用するようにしたこと、会社の合併の規定を設けたことなどが挙げられる。