「国鉄キハ66系気動車」の版間の差分

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当形式は一般形であるが、従来の[[急行形車両]]である[[国鉄キハ58系気動車|キハ58系]]をもしのぐ水準の接客設備と[[動力]][[性能]]を有する車両であり、実際に[[1980年]](昭和55年)までは[[急行列車]]にも使用されていた。このため、登場当時の[[鉄道ファン|鉄道趣味]][[雑誌]]などでは「汎用気動車」という呼称をされたが、同趣向の[[鉄道車両|車両]]が続いて製造されなかったため、定着せずに終わった。
 
当時は、逼迫する国鉄の[[財政]]事情と、過大な[[自重]]{{refnest|group="注"|サービス電源用[[発電機|発電セット]]を搭載するキハ67が自重約42 [[トン|t]]、キハ66が約40 tと、積車時の[[活荷重|軸重]]がいずれも13 tを大きく超過しており、[[線路等級|丙線]]以下への入線は難しく、乙線である[[筑豊本線]]から他へ転用する際にも乙線以上でまとまった運用数があることが条件となった。}}から、増備や他線区投入などは実現せず、本系列は1975年(昭和50年)までに30両(2両[[編成 (鉄道)|編成]]×15本)が製造されたのみの製造で終わった。
 
しかし、[[地域]]事情を考慮した設備や走行機器類の[[仕様]]は、[[標準化]]一辺倒のそれまでの硬直化した国鉄車両の設計から一歩踏み出した意欲的な設計として評価され、[[1976年]](昭和51年)に[[鉄道友の会]]第16回[[ローレル賞]]を受賞した。
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[[構体 (鉄道車両)|構体]][[構造]]、機器類、装備は[[国鉄キハ40系気動車 (2代)|キハ40系]]に、扉・窓配置(見付)と接客設備は[[国鉄117系電車|117系電車]]・[[国鉄115系電車#3000番台|115系3000番台]]の設計に、それぞれ大きな影響を与えた。
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== カテゴリ ==
当形式は一般形だけでなく、書籍によっては[[近郊形車両|近郊形]]に分類している場合もある<ref>グランプリ出版「日本の鉄道車両史」p.265</ref><ref>日本交通公社「国鉄車両一覧」p.172-173</ref><ref>ネコ・パブリッシング「キハ58系と仲間たち」p.219</ref>。しかし近郊形は国鉄・JRの[[新性能電車]]独自の概念であり、気動車については厳密な意味で近郊形に分類される車両ではないため([[近郊形車両#気動車]]を参照)、カテゴリとしては一般形であるが、位置づけは汎用形であった<ref>[[JTBパブリッシング]] [[寺本光照]]「国鉄・JR 悲運の車両たち」p.139</ref>