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== 歴史 ==
[[ファイル:Siyer-i_Nebi_151b.jpg|thumb|left|200px|預言者[[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ|ムハンマド]]とカアバ]]
カアバの歴史は非常に古く、イスラーム以前の時代にはアラビア人の信仰していた[[多神教]]の神々の神殿として使われ、アニミズム時代([[ジャーヒリーヤ]]、無明時代)には、360もの神々の聖像が置かれていた。当時のカアバ神殿に祭祀されていた360の神々の最高神は[[エール (神)|アッラーフ]]であり、特に緊急時の救済を司る神として崇められていた。また、[[アッラート]]、[[マナート]][[アル・ウッザー]]という三女神の父とされていた。その中での最高神が[[月]]の女神であるアッラート(アッラーフの女性名詞形。アリラト、アルラトとも)であり、月経を司る五穀豊穣の老婆の女神であった。なお、イスラーム教は「太陰暦」を採用している。アッラートの「御神体」は、天然ガラスである[[黒曜石]](もしくは[[隕石]]由来の[[テクタイト]])でできていると言われており、アニミズム時代は「月からの隕石」と信じられていた。現在この'''黒石'''は、カアバ神殿の東南角に鄭重にはめ込まれており、イスラームの[[巡礼]]である[[ハッジ]]においてこの石に触れることができれば大変な幸運がもたらされると、イスラーム世界では信じられている。ハッジはイスラーム成立期の[[アラビア半島]]での伝承を色濃く残しており、考古学的にも大変興味深いものである。
 
[[ムスリム]](イスラーム教徒)の伝承によれば、カアバはそもそも神が人類の祖であるアーダム([[アダム]])とその妻ハウワー([[イヴ]])に命じて建設させた聖殿であり、その周囲を回ることは天上の神の玉座とそれを巡る天使たちの地上における再現で、神がアーダムに命じたことであるという(旧約聖書の創世記にはカアバ神殿の記述は無い)。しかし最初のカアバの建物はヌーフ([[ノア (聖書)|ノア]])の時代の大洪水によって失われたとされている。
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イスラーム教の事実上の創始者で最終かつ最高の預言者とされている[[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ]]の生まれた時代、カアバはこの地の豪族であるクライシュ族が管理していて、その当時メッカはアラビア半島の交易路の十字路だったために[[キャラバン]]の避難所としても使われていた。そのキャラバンは当時支配的だった多神教の偶像をカアバに奉納し続け一年にちなんだと考えられる360もの偶像があった。しかし、多神教と偶像を否定するムハンマドの興した[[ウンマ (イスラム)|イスラーム共同体]]は、クルアーンを通じてカアバを宗教的に重要な場所と認識していた。
 
このため[[マディーナ]]へ移転([[ヒジュラ]])したムハンマドらイスラーム共同体側は、[[628年]]に交戦中にあった[[クライシュ族]]側と交渉し、メッカへの小巡礼([[ウムラ]])を行えるよう10年間の休戦を約定した([[フダイビーヤの和議]])。翌629年にはムハンマド自身もメッカへの小巡礼を行っている。しかし、その後も巡礼中などでの部族間の刃傷事件が絶えず、これを口実としついに[[630年]]に預言者ムハンマド率いるムスリム軍がアブー・スフヤーン([[ムアーウィヤ1世]]の父)を筆頭とするクライシュ族のメッカを無血開城して征服した。この時上記のアラートの「御神体」とされていた「[[黒石]]」({{rtl-lang|ar| حجر الأسود}} {{lang|ar-Latn|Ḥajar al-Aswad}})を除く359の聖像が全て破壊されて名実共にイスラームの聖殿とし、同時に伝承によるとムハンマド自身の手によって「黒石」は聖別され、カアバの建物の東の角に据え付けられた。このため現在でもカアバの内部は天井を支える柱などを除くと装飾のない空洞になっている。
 
== 信仰 ==