「昌原郡」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m ボット: 言語間リンク 1 件をウィキデータ上の d:Q11273359 に転記 |
播磨国の鉄道・音楽ファン (会話 | 投稿記録) 編集の要約なし |
||
5行目:
katakana=チャンウォングン|
hiragana=しょうげんぐん|
latin=Changwon-gun|
}}
19 ⟶ 20行目:
[[新羅|統一新羅]]時代には良州に属し、屈自郡(のち義安郡)が置かれた。現在の馬山は骨浦県(のち合浦県)と呼ばれて義安郡の属県であったが、高麗時代に義安郡・合浦県は同格の郡県として金州に属した。
[[李氏朝鮮|朝鮮王朝]]時代の1408年
=== 近代 ===
[[1895年]]
1908年には、鎮海郡・熊川郡が
植民地期には郡東南部の鎮海湾沿岸に[[鎮海港|鎮海軍港]]と軍港都市・鎮海が建設された。
=== 大韓民国成立後 ===
大韓民国成立後、1955年に鎮海邑が'''[[鎮海区 (昌原市)|鎮海市]]'''として分離。1970年代、昌原面・上南面・熊南面は[[馬山市]]に
=== 年表 ===
48 ⟶ 49行目:
* 1910年10月1日 - 昌原府が'''馬山府'''に改称。
* 1910年12月27日 - 鎮海が軍港に指定される。
* 1912年1月 - 熊中面・熊西面が合併し、鎮海面
* 1914年8月1日 - 郡面併合により、馬山府の開港地周辺の各国居留地および外西面が新たな[[馬山市|馬山府]]として分離。馬山府の残りの部分が'''昌原郡'''に改編。昌原郡に以下の面が成立(15面)。
** 鎮田面・鎮北面・鎮東面・亀山面・内西面・大山面・東面・北面・府内面・上南面・熊南面・鎮海面・熊邑面・熊東面・天加面
|