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'''鈴木花蓑'''(すずき はなみの、[[1881年]]([[明治]]14年)[[12月1日]] - [[1942年]]([[昭和]]18年)[[11月6日]])は[[愛知県]]出身の[[俳人]]、裁判官。本名は鈴木喜一郎(きいちろう)。[[半田市]](当時は知多郡半田町)生まれ。半田裁判所で書記見習いをしていた時に「[[ホトトギス (雑誌) |ホトトギス]]」の存在を知り投句。1909年には名古屋裁判所に移1915年に上京、[[大審院]][[書記]]となる。この年初めて「ホトトギス」で入選。また[[東大俳句会]]を指導し、後の[[水原秋桜子]]や[[高野素十]]らの4S時代を築く礎となった。晩年は「あをさ」「百舌鳥」などの俳誌を創刊するも、戦時中の紙不足に巻き込まれ廃刊を余儀なくされる。60歳を迎えて日本俳句作家協会常任理事となるも、間も無くして病に倒れた。1942年11月6日、没。享年60。戦後の1947年に『鈴木花蓑句集』(笛発行所)が編まれた。
大正末期の「ホトトギス」沈滞期を代表する作家であり、1922年から1926年まで巻頭を取り続け「花蓑時代」と称される。[[高浜虚子]]の提唱した「[[客観写生]]」を忠実に実践し、
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== 関連文献 ==
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