ホーム
おまかせ表示
付近
ログイン
設定
寄付
ウィキペディアについて
免責事項
検索
「アルバート・パイク」の版間の差分
言語
ウォッチリストに追加
履歴表示
編集
履歴の双方向閲覧
← 古い編集
新しい編集 →
削除された内容
追加された内容
ビジュアル
ウィキテキスト
2015年4月12日 (日) 17:19時点における版
編集
126.58.140.162
(
会話
)
→ジュゼッペ・マッツィーニとアルバート・パイクの往復書簡
← 古い編集
2015年4月12日 (日) 17:23時点における版
編集
取り消し
126.58.140.162
(
会話
)
→ジュゼッペ・マッツィーニとアルバート・パイクの往復書簡
新しい編集 →
20行目:
その返書は大英博物館にずっと展示されていたので、誰でも写しを取ることができたとされる。しかしカーが後に発表した「世界の王子たるサタン」によると、この返書は大英博物館図書館のカタログには載っていないとされる。
この書簡の内容には、「ファシスト」や「ナチズム」といった、20世紀前半に作られた用語が登場するので、1871年の時点でパイクがそれらの用語を、知っているはずも、予想できるはずも
、
なく、この書簡の内容は、その頃に作られた偽造品だと考えられている。
== 年譜 ==