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=== 歴史書 ===
[[歴史書]]においては直ちに真偽を判断できない難しさもあって偽書とされている史料が多い。真偽の判定にあたっては、成立時期を遡って主張されている場合が多く、その時期を検証することが[[史料批判]]の出発点となる。
 
『[[先代旧事本紀]]』は、その序文が「『[[日本書紀]]』に先行する[[7世紀]]の編纂」とあったが室町時代までは記紀とならぶ「三部の本書」主張しての扱を受けていた。しかし江戸時代になと、この序文の主張『[[天皇記]]』・『[[国記]]』に相当する記述を装っているとされ実際すで国学者[[多田義俊]]、[[伊勢貞丈]]らが偽書と断じている。成立7世紀よりもかなり下った[[平安時代]]初期[[9世紀]]ごろの成立と見られている。序文についてノンフィクションライターの藤原明[[天皇記承平]]』・『6年([[国記936年]])相当するも宮廷で行われた日本紀講を装っ席上へ[[文章博士]]の矢田部公望が突如披露されであり、るとしている。公望の出自は物部であることから、自らあるいはその筋に近い者がの権威付けのために、その筋に近い物が創作した可能性が高いと言われている(藤原明『日本の偽書』<ref>文藝春秋 2004年またこれ</ref>。偽書にありがちであるが、[[17世紀]]には旧事本紀もと底本られたと推測される『[[先代旧事本紀大成経]]』が現れたのは[[17世紀]]であている。この例しかし、後世は序文はともかくとして記紀や古語拾遺も見ず、一つれない独自偽書が伝承や神名も見られまた別の偽書[[先代旧事本紀#資料価値|これに史料価値生み出すと認める研究者もう例は多くあ]]
 
いわゆる他にも[[古史古伝]]の類いでは明らか目を移せば、昭和期に入り竹内巨麿が世に広めた[[竹内文]]は、であることが判明している史料が多くある。「『古事記』より以前の歴史書いうふれ込みで話題となった[[竹内文書]]は昭和期に入ってから竹内巨麿、後偽書広めたもの、日本国外の近代都市名の記述があるなどして偽書断じらているしかし、『[[東日流外三郡誌]]』のように[[20世紀]]の語彙が含まれるものもありながら、[[史料批判]]を受けることなく地元の市史に用いられたという例もある(類例には『[[浜松城記]]』がある)。
日本においては、国家の命運をはるか未来まで予言したという[[聖徳太子]]『未来記』なる偽書が古くから流布し、[[楠木正成]]も味方の士気を鼓舞するためにこれを用いたという。
 
日本においては、国家の命運をはるか未来まで予言したという[[聖徳太子]]による『未来記』なる偽書古くから流布し、『太平記』に[[楠木正成]]も味方の士気を鼓舞するため、[[後醍醐天皇]]からの書の閲覧許されていたとことが書かれて
いわゆる[[古史古伝]]の類いに目を移せば、昭和期に入り竹内巨麿が世に広めた[[竹内文書]]は、『古事記』より以前の歴史書というふれ込みで話題となったが、後に偽書であるとされた。又、『[[東日流外三郡誌]]』のように[[20世紀]]の語彙が含まれるものもありながら、[[史料批判]]を受けることなく地元の市史に用いられたという例もある(類例には『[[浜松城記]]』がある)。
 
=== 江戸時代の戦記物・系図の偽書 ===