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Yanajin33 (会話 | 投稿記録)
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== 地理 ==
双ヶ丘とは南北に並ぶ3つの丘の総称であり、北から順に一の丘(標高116m)、二の丘(標高102m)、三の丘(標高78m)と呼ばれる<ref name="京都の地名検証2"/>。付近の標高は、[[西日本旅客鉄道|JR]][[山陰本線]](嵯峨野線)[[花園駅 (京都府)|花園駅]]付近が約40m、[[京福電気鉄道|嵐電]][[京福電気鉄道北野線|北野線]][[御室仁和寺駅]]付近が約70mであり、双ヶ丘は付近の低地より40-50m突出している。山域の総面積は189㎡である。山麓の南側には東西に[[丸太町通]]が走り、丸太町通に並行して[[西日本旅客鉄道|JR]][[山陰本線]](嵯峨野線)が走っている<ref name="京都の地名検証2"/>。西麓には南北に[[国道162号]](周山街道)が走っている。東麓には[[妙心寺]]や[[法金剛院]]が、北麓には[[仁和寺]]が存在する。西麓を[[御室川]]が流れており、双ヶ丘以南で宇多川・紙屋川([[天神川 (京都市)|天神川]]上流部の名称)と合流する。三の丘の西側、法金剛院の北側には五位山古墳が存在するが、墳丘は破壊されていて詳細は不明である。三の丘と五位山古墳の間(現花園内畑町・花園段ノ岡町)にはかつて双池(ならびのいけ)と称された大きな天然池があり、双ヶ丘と双池はいずれも[[歌枕]]として広く和歌に詠まれた<ref name="京都の地名検証">[[#京都地名研究会2005|京都地名研究会2005]]、pp.270-272</ref>。双池の水面標高は約45mであり、南北80m-90m、東西40m-50m程度だったと推測されている<ref name="京都の地名検証"/>。『[[続日本後紀]]』には、冬季には水面に水鳥が群をなしていたことが記されている<ref name="京都の地名検証"/>。双池は江戸時代までに水が枯れて田となり、現在では住宅地となっている<ref name="京都の地名検証"/>。
 
=== 平安京の基準点説 ===