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'''フレデリック・マニェ'''(Frédéric Magné
==現役時代==▼
▲== 現役時代 ==
アマチュア時代、[[ファブリス・コラ]]とコンビを組んで[[世界自転車選手権]]のタンデムスプリントで3連覇([[1987年]]~[[1989年]])を達成。しかし[[グリーンドーム前橋|前橋]]で開催された[[1990年]]の大会では、当時共に[[高校生]]だった[[稲村成浩]]・[[齋藤登志信]]の[[日本]]ペアに準決勝で敗れ、4連覇を阻まれた。しかし世界選手権のタンデムスプリント種目としては最後の大会となった[[1994年]]にもコラと組んで優勝した。
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[[国際競輪]]では通算90戦31勝。優勝9回の実績を挙げている。体全身を使ったパワフルなフォームを武器に、4角で後方に置かれていても直線でビューンと伸びてくるような力強いレース振りが印象的な選手であった。
== 引退後 ==
[[2000年]]の世界選手権・ケイリンで3度目の優勝を果たし引退の花道を飾ったマニェは、フランス・トラック競技のジュニア担当ヘッドコーチを経て、[[2001年]]にUCIワールドサイクリングセンター([[WCC]])のトラック競技ヘッドコーチに就任。この時代に[[オランダ]]の[[テオ・ボス]]をはじめ、女子では[[イギリス]]の[[ヴィクトリア・ペンドルトン]]、[[郭爽]]らの、後の世界チャンピオンを指導。日本人選手としては、[[永井清史]]、[[北津留翼]]への指導を行っている。また[[2004年]]からは全ての競技の強化を統括する強化訓練部門のマネージャーも兼務するようになった。
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