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== 歴史 ==
古くは「みのちごおり」、「みぬちごおり」と呼ばれた。[[奈良時代]]後半に全国から9人が各々の善行によって[[朝廷]]から褒美を得ておりいて[[刑部氏|刑部知麻呂]]と[[倉橋部氏|倉橋部真人]]の二人が当郡の人と[[続日本紀]]に記載がある。[[平安時代]]の『[[延喜式]]』、『[[和名類聚抄]]』にも水内郡の名が見られる。
 
平安時代後半の「[[僧妙達蘇生注記]]」に善光寺が当郡に存在することが記されており[[善光寺]]の名とともに広く知られていた。
 
戦国期には[[越後国]][[上杉氏]]に属した[[葛山氏]]が勢力を誇っていたが、甲斐国の[[武田氏]]は越後上杉氏との川中島の戦いにおいて[[弘治 (日本)|弘治]]2年([[1556年]])頃から葛山氏に対する調略を行う。弘治4年([[1558年]])には上水内郡中条村の[[柏鉢城]]に在番衆を入れ支配拠点とし、大日方主税助、室住虎定(豊後守)、水上六郎兵衛(備前守)、箕輪衆、坂西氏らを配置した。