「加賀 (空母)」の版間の差分

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[[ファイル:Japanese Navy Aircraft Carrier Kaga 1928.jpg|thumb|left|200px|1928年 巨大な煙突が判る]]
[[ファイル:Kaga flight training 1930.jpg|thumb|left|200px|1930年 最下段の甲板上に[[九〇式艦上戦闘機|九〇艦戦]]、最上段の甲板に[[一三式艦上攻撃機|一三艦攻]]が見える]]
艦形の決定の際、同じく他艦種から改造された[[イギリス海軍]]の二段式航空母艦「[[フューリアス (空母)|フューリアス]]」の影響を受けてか、「赤城」共々、三層の[[飛行甲板]]を持つ三段式(雛段式)空母案が採用された。上段を離用、中段を小型機の発艦用、下段を大型機の発艦用とし、航空機の機種・用途に合わせ、甲板を使い分けることが考えられた<ref>『航空母艦』(朝日新聞1942)pp.31-32</ref>。
 
しかし航空機の草創期に設計されたため、運用の実際や航空機の大型化を予測しきれず数々の問題が浮上することとなった。問題となったのは発着用飛行甲板の短さであり、特に中段の甲板で顕著に表れ、ここから[[艦上機]]が運用上で発艦することはできなかった。飛行甲板と船体に挟まれた艦橋からは搭載機の発艦・着艦統制が難しく、[[1932年]](昭和7年)には甲板のエレベーター右舷に塔型補助艦橋と、飛行科指揮所を設けている<ref>「軍艦加賀塔型補助艦橋及飛行科指導所仮設の件」、1-2頁</ref>。