「テオドリック (東ゴート王)」の版間の差分

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テオドリックは、隣国との調停を計るため、[[フランク王国]]の王[[クロヴィス1世|クローヴィス]]の妹[[アウドフレダ]]を妻に迎え、娘を[[西ゴート王国]]の[[アラリック2世]]に、妹をヴァンダル王[[トラスムンド]]に嫁がせた。
 
彼を、そして東ゴート王国を最も悩ませたのは、宗教問題と後継者問題であった。テオドリックと、多くのゴート族は[[アリウス派]]であったが、[[カトリック教会|カトリック]]教徒であった皇帝[[ユスティヌス1世]]([[ローマ法大全]]を編纂させた[[ユスティニアヌス1世|ユスティニアヌス大帝]]の、叔父にして養父)はこれを迫害し、東ローマとの関係は次第に悪化した。また、彼は男子に恵まれず、東ゴート王国にとっては、これが最も致命的となった。
 
彼は[[526年]]に死に、その[[テオドリック廟|霊廟]]は現在でもラヴェンナで見ることができる。